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    紅い晴れ着            1月1日


冬の朝、日の出前の斜光を浴びて、にわかに輝きはじめた紅い実の一群。近づいてみると小さな実の一粒一粒から浮き出す無数の露粒がそれぞれに光放っていた。
ひっそりとした冷気の中に賑やかな宴 
                           
 ピラカンサ / ギリシャ語で「火と棘」の意味。バラ科トキワサンザシ属の総称。日本では主に次の3種類が栽培されている。
 @ トキワサンザシ・・・南部ヨーロッパから西アジアが原産地。昭和初期に輸入されたが、戦後、アメリカから再輸入され本格的に普及。6月頃から白い花をつけ10月頃から紅い実がつく。
 A タチバナモドキ・・・中国西南部が原産地。明治時代に入ってきた。              5月〜6月ころ花をつけ10月頃から橙色の実をつける。中国名は「火棘(かきょく)」
 B カザンデマリ・・・ヒマラヤが原産地。別名はヒマラヤピラカンサ。
            

 ▼ 赤といえば、最近、もっとも印象に残ったのは、25年前の正月、赤い晴れ着を着て玄関前に立った"横田めぐみさん”の写真だ。その朝は大雪だったそうで降り積もった雪の白さの中に赤が鮮やかに映える。もうすっかり有名になった横田夫妻、おそらく、その朝、父はいつもの人懐っこい笑みを浮かべ、フアインダーを覗き、やや早口に娘にいろいろ注文をつけ、妻は横で優しく見守る、そんな風景が容易に想像できる。
  ▼ 年末、横田滋さんが「孫のキム・へギョンに会いに訪朝したい」という意向を明らかにし、政府に申し出る、という一幕があった。安部官房副長官との面接の席上で息子さんや蓮池透さんの説得で、結局、思いとどまることになったが、「公」の立場を超えて爆発しそうな、祖父としての情がテレビの画面を通じて痛いほど伝わった。
 ▼ 拉致問題がこのわずか数ヶ月で、これほど多くの人々に刻まれたのは、それぞれの被害者家族が一貫してみせた、、父として母としての子を思う情や兄妹弟の熱い信念があったからだ。無作為の25年の間、外務省や多くのマスコミにはそれがなかった。無作為を支配したのは「右翼か左翼か」「社会主義か資本主義か」という二元論であり、もはやそれぞれが時間の経過の中で変質していることへの無理解であり、人がそのどちらかの立場にいるという誤解であり、その誤解から生まれた遠慮と無作為であった。多くのエリートが二元論の前でまるで高度医療の病院で医師や看護士が陥る燃え尽き症候群のように無表情になり、目の前の業務をこなすだけだったのではないか。拉致家族の存在は、他人事のエリート稼業では何も変えられない、ということを日本社会に強烈に突きつけている。お前はいったい何をしてきたのだ?拉致被害者の空白の25年は、高度経済成長を達成しGNP 世界第二位になった後の25年と重なる。次のステージに向かい軌道修正を怠った日本社会にとっても空白の25年であった。
 ▼皆になだめながらも「孫に会いたい」という祖父の情を隠し切れない横田滋さんをみるたびに、石川啄木のことばを想う 。「一生に二度とはかえってこない一秒だ。おれはその一秒がいとしい。ただ逃がしてやりたくない。」 (「利己主義者と友人との対話」より)

                             

2003年1月1日
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