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紅花一輪                        1月4日


  この朝 さきしばかりの 新しき 紅花一輪 
    廊わたる われにむかひて 眼くばせす
  神存す--- わが心 既におとろへ 久しくものに倦んじたり
    神存すとは 信うすき われらの身には 何の証しも なけれども
  われは信ず ただにわづかに われは信ず
  かの紅花一輪 わがために ものいふあるを 如何に 如何に
  人々百度も われをたばかり あざむく日にも 
  われは生きん われは生きん かの一輪の 花の言葉によりてこそ
                                     <三好達治>

 ヤブツバキ/原産地は日本(青森県夏泊半島以南)、朝鮮半島西南部            日本人とツバキとの関わりは縄文の時代から5千年にもなる。

▼冬の光が丘公園、裸樹の中を歩いていると、遠くのほうにハッとする色彩を発見する。いつものように気持ちが高ぶり、その紅花の群生にロングショットから一枚一枚シャッターを押しながら近づいていく。光があびた花一輪を選びシャッターを押す。気持ちはさらに高まり、花びらの中の茶せん状のおしべの集落にまで寄っていく。黄金色の花粉、おしべの下には甘い蜜が満ち溢れているのだ。蜜を吸いにくるメジロの気持ちもわかるくらい、この紅花一輪の中に分け入っていきたい衝動に駆られる。後でネガを見ると、冬の光が丘公園の撮影記録は、決まって裸の樹林にはじまりこのヤブツバキのクローズアップショットに落ち着く。まわりが枯れ果てた風景だからこそ、この鮮やかな紅色の生気に圧倒される。
 ▼ところがツバキは古来から"不吉な花”という汚名を着せられている。咲き終わった花が、おしべもろとも抜け落ち、ドサッと地面に落ちてしまうかららしい。花びら一枚一枚が風に吹かれてはらはらと散り、無常を味わうことを好む人にとっては、ツバキの花の唐突な最期は無残に写ったらしい。しかし、私はツバキの唐突な最期も捨てたものではない、と思う。
▼年末, キナ臭い新聞記事に囲まれて、枯れ野の中の鮮やかな紅花のように壮絶な生気を放った記事があった。毎日新聞の佐藤健記者の連載記事「生きる者の記録」である。1961年に入社し「地べたの視線」で命と向き合ったルポルタージュを書き続けた佐藤記者が自ら末期がんを宣告された。その闘病の記録だ。12月3日から始まった連載から目が離せなかった。
▼壮絶な痛みや恐怖の中でつづられる言葉はユーモアにあふれ当事者としての自分とのさわやかな距離感がとられている。12月28日、家族や友人に見守られ佐藤氏が迎えた最期、後輩の記者が書いたその描写は印象深い。<医師が診察する。脈拍が下がり、瞳孔が広がっていく。息が小さく、小さく、そして間が長く・・・・・・。息を小さくひとつ。これが最期だった。「ご愁傷様でした」と医師が告げる。奥さんが拍手した。そして息子さんが、みんなが拍手で送った。この原稿を打つパソコンの脇には、12月16日に健さんが奥さんに口述筆記してもらった言葉がこうつづってある。
   生は光 死は闇 私達の生とは闇と闇との空間を横切る星なのかもしれない
 みんなで健さんを囲む。家族、仲間、医療スタッフ・・・・。いつも原稿を書く時、机の「斜め45度」に置いて飲んでいたホワイトホースのグラスを手に息子さんが言った。「よき父、よき男、よき友の健さんにまず一杯目の献杯を」「献杯」 >

▼どさっと土に落ちた椿の花に不吉さはない。光輝く紅花一輪が、ぽろりと落ちたその一瞬に思いを馳せることの深遠さを心に留めたい。
                     落ちざまに 水こぼしけり 花椿   芭蕉
                                      
                        2003年1月4日  
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