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団子はいかが                     1月5日

 栴檀(せんだん)の 実に風聞くや 石畳   <芥川龍之介>

センダン / センダン科センダン属 落葉広葉樹 本州南部以南に自生する。5〜6月に淡い紫色の小花をたくさん咲かせ、秋にオリーブのような黄色い実が熟する。別名,オオチ

木枯らしが吹く中、裸枝にぶら下った無数の実が揺れている。遠くから見ると黄金色の花が咲いているようにみえる。冬の光が丘公園で出会った,これもハッとする光景だ。センダンの実は駆虫剤や殺虫剤に使われる。そのせいで鳥も寄り付かず手付かずのまま残っているのだろう。
刻一刻変化する季節の流れから、この実だけが置き去りにされた感じもする。
 ▼センダンという名前の由来には諸説ある。その中で、一番、気に入っているのが深沢正氏の説である。「私はセンダンの語源は"千団子"ではないかと思っている。千団子というのは、滋賀県大津の園城寺で、古くは4月16日、今は5月16日より3日間に行なわれる法会の俗称で、千団子祭とも千団子参りともいう。この御堂に祭る神は、千人の子を持つという鬼子神で、これに千個の団子を供えたところから、その名が起こったといわれる。この日、小児の健康、厄除け、安産などを祈願する人々が千個の団子を供えると、参詣の子供たちが争ってこれを持ち帰ったものだという。オウチの実は、それこそ無数の珠を連ねたようになり、冬に入り、葉がすっかり落ちたあと、黄色に輝く実が、枝一面に群がりついた様はまさに壮観である。この様子を千団子に見立てて、これをセンダンゴといい、さらに詰まってセンダンとなったのではないだろうか」(植物和名の語源より)センダンの果実を団子に見立てた発想はユーモラスで面白い。だんご3兄弟ではないが枝にぶらさがった団子の一つ一つに顔をつけてみると愉快な気分になる。
 ▼正月、郷里の山口県防府市に帰った。かつて、港から北の天満宮につながる商店街は参拝する多くの人でごった返した。しかし、今は、参拝客は天満宮の裏手に完備された駐車場まで自家用車でやってくる。、駐車場から神社の東門にかけて列ができるが、表参道には人はまばらで、商店街のほとんどがシャッターを下ろしている。江戸時代は参勤交代の大名行列で賑わったこの通りもすっかりさびれてしまった。帰郷するたびにこの通りを歩く。帰るたびにシャッターの下りた店が増えていく。閉鎖した店舗の前に残された古い看板などを写真におさめていく。
 ▼この正月、さらにひとつ看板を下ろす小さな店を見つけた。原田紙店という。創業は昭和16年、結納セットや障子紙、千代紙など和紙にこだわった店だ。店の前には達筆で「店じまい」と書かれた和紙が貼られている。店の中に入った。昔となにも変わっていない。店主が奥から出てきた。今年で80歳になる。昨年、妻がなくなった。そこで店じまいする決心した。そんな近況を話した後、店主の話は60年以上こだわってきた和紙の話になる。これまで全国各地から集めた和紙を次々と披露しはじめながら日本の紙すきの技術のすばらしさを語り始めるときりがない。外は正月なのに参詣客のまるで通らない表参道、そんなことにはお構いなしに構いなしに、店主は好きな品を並べてじっと待つ。こんな商売っ気のない店が次々になくなっていくのはなんとももったいない。いつかこのホームページに、そんな偏屈店ばかりを集めた「店じまい」というコーナーをつくってみたい、と思う。
 ▼皆が過ぎていった冬の公園で、千個の団子たちがが木枯らしに吹かれて揺れている。 人気のない商店街の、客の入らない団子屋のようだ。やるきがあるのかないのかわからない店の主人が冷えた団子の前で、半ば投げやりに「千団子はいかが」と呼びかける・・・
                                      

                          
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