冬の花水木 1月6日
ハナミズキ (花水木)/ 別名アメリカヤマボウシ。高さ4〜5mになる落葉小高木。枝は横に広がり短く分枝し階段状の樹形となる。原産地は北米東部、メキシコ北東部。明治45年に尾崎行雄東京市長がアメリカに桜を寄贈した謝礼として日本に送られた。木の皮を煎じた汁が犬のノミ退治に効があるといわれドッグ・ウッドとも呼ばれている。果実はやや苦味があり果実酒にいい。
▼もう25年前になるが、学生時代によく口ずさみ今でも忘れられない歌がある。小椋佳の「くぐり抜けた花水木」だ。
その花の道を来る人の
明るい顔の不思議さに
くぐりぬけて見る花水木
あれほど疲れていた僕が
なぜか夢でもみるような
まどろむ光の花水木
そのあざやかさは何もかも
捨て去ってきたこの僕の
旅を見下ろす花水木 なぜか君のことを考えてます
今でいう"引きこもり”なのか、鬱屈した青年期、これからどうしたものか身動きがとれない時期、サーっと光が射し込むように、登場する恋人。小椋佳の詩は、時間を越えてあの頃の心情にすぐに戻してくれる。後に聞いた話で出典もさだかでないが、この詩は小椋桂が学生時代、リポートを書きにこもった村に、後に結婚することになる恋人が突然訪ねてきた時のことを書いたものだという。小椋という名前はこの時の村の多くの家が「小椋」名であったことからとったものだと聞いた覚えがある。
▼その後、今も気がついたら口ずさんでいる歌だが、花水木という樹木については何も知らなかった。その存在が身近になったのは、15年前、練馬区の光が丘に引っ越してきてからだ。光が丘に花水木が街路樹として多く植えられていた。春、桜が散るのを待つかのように一斉に咲き誇る花水木の花の下をくぐりながら、あの唄のイメージがさらに身近になった。中でも地下鉄の駅の入り口、ショッピングセンターの前に植えられた花水木の様子には毎日、注目するようになった。草花木の素人写真を愉しむようになったのもこの花水木の存在が大きい。
▼4年前、職場で一緒だった若い女性スタッフの一人が渡米した。当時、現場の仕事から管理職というステージに代わり、鬱々した気分にあった自分にとっては、大学を卒業したばかりの彼女たちの屈託のない表情と会話は何よりの憩いだった。先日、米国から久しぶりにメールが送信されてきた。近くアメリカ人の男性と結婚することになった、という。持ち前の明るさで米国の風土に適応していった歳月が思い起こされ、こちらも元気になる、彼女らしい清清しい手紙だった。
▼花水木は、明治45年、尾崎東京市長が米国に贈った桜のお返しに、米国から贈られた樹である。それから1世紀、すっかり日本各地の風景に溶けこんだ。華やかな花もさることながら、その紅葉も見事で、日本の四季折々の変化にあわせてそれぞれの表情を見せてくれる。最近は、花の盛りよりも、それ以外の季節の表情に愛着を感じるようになった。写真はショッピングセンター入り口、雑踏を見下ろす花水木である。冬、すべてが枯れ落ちた後、最後に残った赤い実の風情がなんとも愛らしい。
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