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 赤い駱駝                         1月12日

 クロガネモチ(黒鉄糯) / モチノキ科の常緑広葉高木。5月〜6月に淡紫白色の小花が咲く。雌雄異株で、雌株には10月〜2月あずき大の果実が赤熟する。

▼ 今から半世紀前、敗戦した日本で、人々はどのようにして軍国主義から民主主義、平和主義へとその価値観のベクトルを反転していったのだろうか?この正月はそんな思いで、戦後短編小説集を読んだ。その中で最も印象に残ったのが梅崎春生の「赤い駱駝」(1948年)だった。主人公は、二見という名の予備少尉である。
▼二見は、まったく軍人に適さない男だった。運動神経も全くない。撫で肩、手足が少し長い、、関節のぬけたような風貌。軍人としての条件をあれほど欠如した男もめずらしだろう。しかし、二見ほど軍人らしくなりたいと努力した男も、めずらしかっただろう、と作者はその人物像を積み上げていく。「(ことわっておくが、それは軍人として身を立てたいとか、軍隊が大好きだという意味じゃない。本当のところでは、あいつは正反対のものだった)そして軍人らしくなりたいという彼の努力が彼の場合、決定的に反対の結果になってあらわれることが多かったのだ。丁度バクチに負け運になった男が、懸命になればなるほど、いよいよ負けこむような具合だった」 猫背を隠し機械的に胸を張り、軍人らしくあろうとする二見の力んだ歩き方は操り人形のようにバタバタした印象を与え、かえって周りの笑いを買った。しかし彼には自然体を見せることはできなかった。意識すればするほどさらにギクシャと張り詰めた表情になった。痛ましい二見の努力が詳細に描かれていく。
▼そして、突如として戦争が終わる。器用に軍隊に順応していた者たちは、この突然の変節にもそつなく対応していった。しかし、二見はそれができなかった。軍隊への過剰適応を強いられていた精神は、突然の解放についていくことができず、彼は自殺してしまう。その結膜はあまりに痛ましい。そのやり場のない精神状態について、作者は冒頭、このように語った。
「まだ部隊にいる時分、潜水艦勤務を五年もやったという古参の特務中尉がいて、それがおれにときどき話を聞かせてくれたが、そのなかでこんな話が今でも深く頭にのこっている。それは長時間海の底にもぐっていて、いよいよ浮上しようとする時の話なんだ。
 なにしろ潜水艦というふねは、水にもぐっている関係上、空気の補給がぜんぜん絶たれているだろう。空気はよごれ放題によごれ、吸ってもはいてもねとねと息苦しいだけで、みんな顔には出さないけれども、死にかかった金魚のように、新しい空気に飢えているわけさ。だから浮上ということになると、皆わくわくしてフタのあく一瞬を待っている。
 海水を押し分けて、ぐっと浮上する。フタがぱっと開かれると、潮の香を含んだ新鮮な空気が、さあっと降るようにハッチから流れこんでくるのだ。その。時の話なんだが。
『ぐっと吸い込んで、どんなにか美味しいだろうと思うだろ。ところがそうじゃないんだ。吸い込んだこたんに、げっと嘔気がこみあげて、油汗が流れるぞ。そりゃ手荒くいやな気持ちだぜ。てんで咽喉が新しい空気をうけつけないんだ。』・・・・」

▼二見少尉の悲劇は、組織の中で器用に立ち回ることができない人々の精神的ダメージの本質を突いている。赤い夕日を見ながら、「童話でも書きたいな」とつぶやいた二見。残されたメモ帳には「赤い駱駝」と書かれていた。書きたい童話のタイトルだったのか・・・・こういう話を今どきすると、「暗いなあ。もっと元気の出る話ができないのか」と一刀両断、切り捨てられる。しかし、戦後の教育、企業での身の処し方の中で、卒なくこなす器用さだけが重宝がられ、皆が、長い列を組んで黙々と突き進む「軍隊アリ」のようになってしまった、と感じるのは異端だろうか。一生懸命皆とおなじようになろうと隊列に加わっていた異端のアリは、軍隊から放り出された瞬間に「自由を手に入れた」と意欲満々、すぐに次の行動へは向かえない。混乱するしかないのだ。
▼公園の昼下がり、呆然とたたずむ中高年は多い。今も二見少尉はいたるところにいる。そういう私も、漠として「赤い駱駝」が書いてみたいと、所在なく公園をさまよう、二見少尉の分身に違いない。
                          
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