もの思い
1月15日
パンジー/ スミレ科スミレ属。フランス語のパンセ(「もの思う」)に由来する英名。和名を三色すみれともいう。パンジーの園芸品は19世紀初頭からまずイギリス、次いでフランス、ドイツ、オランダでつくりだされ、アメリカで大輪種が生まれた。
▼ パンジーの花言葉を「もの思いい」とはよくいったもので、確かにその花の形をみていると、小首をかしげたようでもあり、なんともわからないことが多すぎるといって当惑しているようでもある。
▼わからない、といえば、昨日、突然、靖国神社を参拝した小泉首相の行動もよくわからない。不意を突かれて、なぜいまなんだろう、と考える間もなく、このニュースは風のように通り過ぎてしまった。
▼8月15日の靖国神社参拝は小泉首相の公約の一つだった。一昨年の参拝は8月13日だった。15日参拝に反対する国を配慮し、二日前の13日は死者の魂が帰ってくる「お盆」という理由で13日に突然おこなった。昨年は4月21日、春季例大祭をねらった。しかし、今年はこれといって理由がみあたらない。中国と韓国の新体制発足の前に、この厄介な問題を片付けて、ややこしくなるのをさけるのがねらいではないか、とマスコミは分析していたが、どうも合点がいかない。
▼靖国神社は、明治2年戊辰戦争の戦死者を慰めるために創建された。発案者は明治天皇だという。最初、名前は「東京招魂社」といった。昔、中国で人が死んだ時、屋上にあがって死者の魂を招きかえらせたことをいう。最初はおそらく無謀な戦のために、謀らずも命を落としたものへの侘びの念があったのではないか、戊辰戦争の戦死者を慰めるための創設の思いの中には同輩同士を殺戮に走らせたことへの為政者の侘びの念があったのではないか。それが変節したのは日清戦争、日露戦争の渦中で得た国家主義であり国粋主義であったと思う。その国家主義が今、まちがいなく溶けはじめている。
▼ 郷里に長沢の池という人工の池がある。この池の辺の村・鋳銭司で幕末、村田蔵六が生まれた。後の大村益次郎である。恐妻で有名だったお琴と対になって並ぶ蔵六の墓はちょっと遠慮がちで気負ったところはない。故郷で幼い頃、村田蔵六のことを学んだ。町医者として学問に没頭した蔵六の人物像は根っからの技術者で合理的な考えを身につけていった。学問を修めた後、就職がなければ田舎に帰って町医者をすればよかった。書物は田舎にもある。学問はどこでもできる。そんな合理的な磊落な考えの男だったと学んだ。しかし、上京し靖国神社で見た大村益次郎の銅像は郷里の飾り気のない墓のイメージとは正反対だった。「戦術のみを知って戦略をもたないものは、ついに国家をあやまつ」といった蔵六は、徹底した現実主義で根っからの技術者であった。もし彼が日露戦争以後、巨鑑大砲主義の呪縛からぬけだせない精神主義に遭遇したら、一抜けたと、郷里に帰り畑を耕し町医者に戻ったのではないか。それほどまでに国家の大儀が肥大した日露戦争以後の日本は理に合っていなかった。同じく靖国神社に祀られている坂本竜馬も、もし生きていたら経済活動に没頭した挙句、そのグローバリズムの限界にぶちあたり、これも一抜けた、と老子の「鶏声国家」でも解き始めたかもしれない。時間の流れの中で周りと感度をすりあわせて合理的に姿を変えて進化する、というのが、生きとし生けるものの戦略である。その冗長性が日本から消えつつある。立花隆が言っているように、敗れて目覚める、それ以外に日本が救われる道はないのか?
▼国家という大儀の暴走で戦争に突入し多くの死者をだしたなら、その結果はどうであれ国家(=政府)の敗北である。政府は犠牲となった個人に対しての謝罪や償いをすることが永遠の義務である。その意味で、靖国神社は「招魂社」として、国家の大儀に犠牲となったありとあらゆる個人を呼び寄せ謝罪し、もう二度とこのようなことはしない、と,,国家があらゆる個人にひたすら謝罪する誓う場所になればいい。その意味で靖国神社は、国家神道という性格とは全く逆の、国家が故人にひれ伏しわびる装置として再生すべきである。
日本兵として戦ったアジア人、犠牲となったアジア市民、太平洋戦争に限らずベトナム戦争、ありとあらゆる民族紛争の犠牲となった個人の魂を集める。そんな大風呂敷を広げてみてはどうか。その上で、首相は「二度と戦争はしない。」と不戦の誓いをする。参拝する日は、世界各地のすべての戦争終結の日にすればいい。国家の大儀によって大切な息子や恋人や夫の命が奪われるという事態は、人類という種がまだまだ成熟していない、という証である。やがて国家主義は歴史の教科書の中で過去の遺物となり、残るのは、地球上のエネルギー循環を見事に自分たちの戦略に取り入れ、個々はそれぞれの事情にあわせて多様性を選択するシステムだ。その戦略は20億年も前から植物が実践している。それに学べばいい。
▼小泉首相にはコピーライターの才能がある。最初はそのコピーは大衆社会に向かって威勢良く発信されていたが、最近のコピーは、永田町に向かっている。我々、大衆の根っこを振るわせるものではなくなっている。言葉がどんどん内向きになっていく。
▼軌道修正はどんどんやってほしい。しかし、今回のような奇策は大きな権威を持つ父親にちょっと歯向かってみせる金満学生の行動のようで好きにはなれない。 |