トップページにもどります

 奇縁                1月18日

 
 ユリノキ / モクレン科の落葉高木。5月〜6月に高い梢の葉陰にチューリップ、あるいはユリのような黄緑色の花が咲くところからユリノキという名がついた。葉が着物の半天のようにみえるところからハンテンボクとも呼ばれる。明治7年頃、アメリカから渡来した。


▼ユリノキとは不思議なつながりがある、と痛感している。
どうしても気分転換したくなることが近頃さらに増えてきた。そんな時、植物写真を撮ることが最高の特効薬になっている。酒で気分を紛らわしたこともカラオケに酔ったこともあったが、それも面倒くさくなってきた。一人でカメラを持ってぶらぶらするのが一番いい。なんともショボイ中年になってしまったものだが、本人はそれでも結構満足している。
▼カメラを持ち出し、植物だけを意識してシャッターを押したのは4年前の秋だった。団地の前の光が丘公園での気軽な撮影ツアーも結構楽しいという感覚を持ったその日のネガにユリノキが映っていた。黄色く大きな葉も鮮やかであったが、近づいて何より気に入ったのが、そのすくっとしたいでたちだった。当時、仕事がはかどらず、気落ちした感情を転換しようと重い腰を上げ公園に向かったのだが、このユリノキとの出会いは何か得をしたような気持ちになった。
▼そのユリノキがますます好きになったのは、冬の裸木の姿を観た時だった。突き刺すように紺色の空にまっすぐに伸びた幹、地面に這いつくばって見上げたショットを探っていると、日常の些事があほらしくなる。気が晴れていった。
▼その後、いろんなところでユリノキを見た。なにか物思いにふけって歩いていると、不思議にユリノキが現れた。あほらしい思いだと一笑されるかもしれないが、自分にとってのユリノキは、「2001年宇宙の旅」のモノリスのような存在だと思えてきた。
▼最近、再び憂鬱に襲われている。医者は、仕事の疲労による不安神経症だというが、自分ではイラク攻撃や北朝鮮の核開発といったチキン・レースを追尾しているうちにどうしようもない時代の憂鬱に襲われたのだと思っている。
▼新宿御苑を歩いた。30年も東京で暮しながら、入場券を払って入ったのは初めてである。
ハクモクレンやシデコブシの新芽など目の前に現れるものをカメラにおさめて歩き、日本庭園から
広場に入った時、それは見事な巨木に出会った。



新宿御苑は、江戸時代に高遠藩の下屋敷だったところを明治政府が近代農業試験場として使用していた。そのためモクレン、梅、桜・・古く立派な樹が多いとは聞いていたが、広大な芝生の広場の中心に聳える巨木はそれは見事だった。しかも、その樹はユリノキだった。高さ40メートルはあるだろう。太い幹のユリノキが3本、寄り添うように聳え立つ。さっそくシャッターを押しながら、久々に高揚する自分を感じることができた。
▼次の日、図書館の棚にある一冊の本を手にとった。毛藤勤治氏ノ「ユリノキという木」(アポック社)という本だ。さりげなく開くと、まさに昨日見た新宿御苑のユリノキの写真が零れ落ちてきた。
さらにキャプションを見て驚いた。そのユリノキこそ日本に渡来した初代だというのだ。その1本のユリノキから日本各地の並木道は始まった。ユリノキ二世達の四谷迎賓館前の並木道、丸の内の並木道・・・いすれも撮影したことがある木々だがそれらはみなこの初代の樹に連なっていたのだ。説明によると新宿御苑のユリノキは明治7年に植栽、樹齢は120年だという。
▼おおげさに言って、また失笑を買いそうだが、2003年のこの日、日本のユリノキの原点ともいえる巨樹と出会えたことにどんな意味があるのか、考えていきたい、と思う。自分にとって、ユリノキはやっぱり「2001年宇宙の旅」の「モノリス」なのだ・・・その奇縁を自分勝手に意味付けてみると、このごろの憂鬱も吹き飛んでいくような気がする。
                          
トップページにもどります