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  貴乃花と朝青龍           1月20日

 冬知らず/ 別名:カレンデュラ 花期:冬〜春
キク科カレンデュラ属 キンセンカよりも遙かに小さく直径 1 センチくらいの花をつける。真冬でも次々と花をつけるので,このように名付けられた。


▼ 冬の新宿御苑。オニバスの花の大輪を満喫した後、温室の外に出た。晴れてはいるが風が冷たい。温室の前の小さな花壇に目を移すと、黄色い小さな花々をつけた「冬知らず」が植えられていた。冬の日差しを受けてまぶしい。厳しい雪原でも黄色い花を咲かせる「冬知らず」には雑草のたくましさがある。温室の中に咲く大輪を見たあと出会う「冬知らず」もまた格別の味わいがある。この場所に植えた人のセンスを感じる。

▼「平成の大横綱、貴乃花引退」の
号外が街にまかれた。「ついにきたか」という思いで手にした人も多いだろう。夕方の引退記者会見でなにより印象的だったのは、ふっきれた表情の貴乃花より、その横にいた二子山親方の「寂しいというよりほっとしました。」という一言だった。そこには親方というより父親としての表情があった。
▼横綱になってからの貴乃花には何か大きな荷物を背負って歩くような窮屈さがあった。大関で終わった父の夢をかなえるために、15才で入門した息子は兄とともに出世街道を突っ走る。その兄弟の姿がなんと清清しかったことか。そして20才で息子は父を越えて横綱になり、兄もそれに続き兄弟横綱が誕生する。皆がいい夢を見た。
▼貴乃花はその後も優勝を重ね平成の大横綱の地位を手にするのだが、いつもどこか窮屈そうだった。そんな時思うのは、兄弟が入門した時の風景だった。同じ家の中、荷物を持って大部屋に移動する15歳の少年、この日から優しい父は厳しい親方を演じた。本来、この一家は、優しく気のいい父と綺麗な母、陽気な兄と甘えん坊の弟、と高度成長の頂で日本人がたどりついた典型的な幸せの形を持っていた。しかし、藤島部屋が二子山部屋になり、兄弟が横綱になった頃から様相が微妙に変わっていったように見えた。
▼兄・若乃花が横綱になった時のことである。若乃花はよくしゃべった。リラックスして普通の言葉でインタビューに答えた。その中で若乃花は妻や子供のことを楽しそうに語った。それは、「家庭に仕事は持ち込まない、働きすぎ、会社第一」をモットーにしてきた戦後の日本サラリーマンの批判のように聞こえ、当時さかんにいわれた「会社優先から生活優先へ」というキャッチフレーズのようにも聞こえた。自分は横綱になっても家族のことを第一にゆったりとやっていきます、というメッセージを強く打ち出し、それがバラエティ気分の世間の空気とうまく溶け合った。それに比べて貴乃花の口はますます重くなっていった。
▼花田家のそれぞれが角界という巨大な伝統組織の荒波に揉まれた。父を失った甘えん坊の
弟はやがて親方を超えたが、同時にだれの助けも求められない孤独の荒野にさらされた。怪我から復帰するかどうかの瀬戸際、横綱総見の場でも土俵に上がらず黙々と四股を踏み続ける貴乃花を横綱審議委員長は痛烈に批判し、マスコミの目も「暗い横綱」として冷たかった。不器用なほどまっすぐに角界を背負った横綱は、気がつけば表層にある伝統組織の重みや権威などといった存在を超え、ひたすら孤独な求道者の道を歩んでいた。そしてそんな息子を横で見るしかない二子山親方もまた孤独であった。
▼相撲道の孤独を一身に背負う弟に対して兄は「もっと多様な、もっと楽しい、もっとやりたいことを自由にやる」人生のあり方を追い求めている。それを否定はしないし応援している。しかしその姿を見ていると、職場に大勢いるバブル期入社の人々の姿と重なる・・・・。夕方、若乃花が会見をした。「弟と私達の父の二子山親方に対して『本当にお疲れさまでした』という気持ちで一杯です」涙で声を詰まらせるその姿が印象的だった。花田家の人々の次の旅路がはじまった。

▼さて、長くなったが、もう一人の主役について書きたい。モンゴル出身の力士で、今、角界の頂点を極めようとしている大関・朝青龍である。
ヒーローはその時代を映し出す鏡である。戦後、千代の富士までの横綱は豊かさを求めて地方から東京へと一極集中していった高度成長・日本の象徴である。貴乃花はそれとは違う。東京の豊かな家庭に生まれ育ち父の切り開いた道を追う"リッチ・チャイルド”である。リッチ・チャイルド達は物質的な豊かさの中にいながら、満たされない孤独を感じ、その内へ向かうエネルギーと格闘しながら生きていく。高度成長、バブル期、思う存分甘えて育ち、成人になりいきなり不況の中に投げ出されたリッチ・チャイルドの憂鬱を貴乃花は具現していた。その貴乃花が去り、次に躍り出ようとしているヒーロー・朝青龍も見事に次の時代を映し出している。
▼草原の国、モンゴルでは、子供たちは幼い頃から家で飼っている子馬を捕まえるという仕事をこなしている。素早く馬の耳を捕まえて足を掛けて倒すという技はここで磨かれる。その延長線上にモンゴル相撲がある。このモンゴル相撲の技を自在に土俵で披露しながら朝青龍は出世街道を駆け上っている。その姿は草原の風のように清清しい。かつて、東京に豊かさを求めて駆け上った地方の子達、そして成功者である父の背中を追いかけて駆け上ったリッチチャイルド、さらに今、モンゴルの子達はアジアの成功モデル日本の豊かさを追ってまい進する。それは日本をビジネス・モデルにし繁栄を手にしたアジアの国々がいまや日本を追い越そうとする勢いであるのと符合する。そして、内なる自家中毒に苦しむ日本は、こうした外からのまっすぐなエネルギーに再び刺激を受けなければならない、時期にある。アジアのライバル達の躍進が、日本に再び活力を与えるという予感を朝青龍の存在は強く感じさせてくれる。

▼貴乃花が温室に咲くオニバスの大輪だとすれば、冬の温室前で、烈風に晒されながらも可憐な花を咲かせる雑草「冬知らず」の群生は、朝青龍である。
                          
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