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 我々は宇宙的誕生の時代にさしかかっている
                 (2)       2月2日

▼スペースシャトル・コロンビア号空中分解の悲報は、近頃イラク攻撃や北朝鮮報道一色の中にあっても大きく報じられた。NASAは事故直後から原因分析に関しての会見をきめ細かく開いている。人々の興味はまずは事故の原因に注がれているが、一部には「なぜそんなに巨額を投じ、そして危険を冒してまでも宇宙のめざすのか」という根本的な疑問符を投げかける人のいる。

▼「なぜ人は宇宙をめざすのか?」その問いを聞くたびに思い出す金言がある。10年前の1992年に封切られた龍村仁監督の「地球交響曲」の中、元宇宙飛行士ラッセル・シュワイカート博士の言葉である。シュワイカート氏は、1963年の3月にアポロ9号のパイロットとして宇宙空間で10日間過ごした。その時の経験談である。

▼<宇宙遊泳している私の姿を撮る筈だったスコット飛行士のカメラが、突然故障したんです。故障を直すため、5分間そのまま待つように言い残して彼は宇宙船の中に消えていきました。
▼突然することがなくなった私は、ゆっくりとまわりを見渡しました。私の真下には真っ青な美しい地球が広がっています。ちょうど西海岸の上を飛んでいたのですが、その風景は信じられないほど美しいものでした。そして、完全な静寂。視界を遮るものは一切なく、無重力のため宇宙服の感触すらなく、自分はまるで素っ裸でたったひとり宇宙に浮いていると感じたのです。
▼その時、突然私の中にこんな思いが湧き上がってきたのです。
『どうして私はここにいるのだろう。どうしてこんなことが起こっているんだ。私はいったい誰だ。そうだ、ここにいるのは私ではなく、"我々″なんだ。これはまるで奇跡じゃないか。私は、いや、我々は、今まさに地球に育まれた命が、地球の子宮から生まれでようとする、その一瞬に立ち会っているんだ』  こんあ確信が一瞬のうちに生まれたのです。考えたのではなく、一瞬に流れ込んできたのです。私という存在が、眼下にひろがる地球のすべての生命と深くつながっているというだけでなく、地球そのものと深くつながっているんだということが、頭ではなく心で理解できたんです。こんな深い連帯感は、今まで一度も味わったことはありませんでした。
 この時から私の世界観は大きく変わりました。もちろん、この体験の前と後で同じ人間ではあるのですが、世界に対するものの見方が大きく変わったのです。

▼人間であるということは、テクノロジーと結婚したようなものだと私は思います。それは、人間という種の持つ独特の個性であり、自然なことなのです。だから、テクノロジーの進歩を否定することは間違っています。
 しかし、一方、テクノロジーをどのように使い、どのような方向に進めるかは、我々の価値観に拠るんです。それも、表面的な意識が信じている価値観よりも、潜在意識の中で持っている価値観の方がより大切なんです。
 もし我々がテクノロジーを、今の物欲による価値観のもとで進化させつづけるなら、自然環境を破壊しつづけることになるでしょう。我々は富や権力の蓄積よりも、自分の一部である自然環境を守ることのほうが、ずっと大切なんだということに気づかなければなりません。もし我々がこの価値観の変化を遂げないならば、我々自身の未来を破壊させてしまうことにもなる。人間はそれだけの力を持ってしまっているんです。

▼私にとって、地球の環境を守ろうとすることと、莫大なお金を使って宇宙開発をすることは、対立するものではないどころか、深く結びついているのです。地球上の生命が宇宙に出ていくというのは、いわば生命進化の重要な一部分だと思うんです。(つづく)>

                          2003年2月2日
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