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 "村役場の書記"のような頼りなさ   

                    2月11日

白梅/ バラ科サクラ属。原産地は中国中部以南。万葉の時代には渡来していた。
     
   梅酒   高村光太郎
死んだ智恵子が造っておいた
瓶の梅酒は
十年の重みにどんより澱んで
光をつつみ、
いま琥珀の杯に凝って玉のようだ
ひとりで早春の夜更けの寒いとき
これをあがってくださいと、
おのれの死後に遺していった人を思う。
おのれのあたまの壊れる不安に
脅かされ、もうじき駄目になると
思う悲に智恵子は
身のまわりの始末をした。
七年の狂気は死んで終わった。
厨に見つけたこの梅酒の
かおりある甘さを
私はしずかに味わう。
狂瀾怒涛の世界の叫も
この一瞬を犯しがたい。
あわれな一個の生命を正視す時、
世界はただこれを遠巻にする。
夜風も絶えた。(1940年3月)

▼光太郎が「梅酒」を詠んだ1940年、世界は第二次世界大戦に突入していた。日本はこの年、ドイツ・イタリアと三国同盟を結ぶ。まさに"狂瀾怒涛の世界の叫であった。その渦中で亡き妻の遺した梅酒を味わう光太郎の風景が、今改めて鮮烈な光を放つ。
▼書棚をさぐっていると、本の間から、茶色い新聞の切り抜きが零れ落ちてきた。どこにいったのか気になっていた司馬遼太郎の短いインタビュー記事だ。整理が悪いのでどこの新聞か、いつの記事なのかもメモされていないが、おそらく1990年あたりのものだと思う。そこに書かれた「村役場のような頼りなさ」というフレーズはその後、ずーっと頭の中に残っていた。

▼「たとえば電車の中で、若い人が長い足を大きく広げて座っている。それを見て、『今の若者は』と嘆き、この国の先行きを憂える人がいる。でもね、あれでいいのです。平和とはこういう若者の姿なんだ、これを得るために、私たちは戦後苦労してきたのだ、と思うのですよ。
▼21世紀に向けて大切なのは、地球規模で文明の新しいスタンダードを、みんなで作り上げていくことです。
 地域紛争は永遠になくならないでしょうが、世界は一つの方向に動き始めている。国家間の障壁は低くなり、国家単位の私利私欲に代わって、国境を超えた人権と地球環境を守ること、この二つが新しい世界の公理となっていくはずです。
▼そんな二十一世紀の世界の取り持ち役として、日本は多くの資質をもっていると私は思います。経済進出や例外的な政治家の発言などで、今は誤解される面が多いが、私たちは本来、決して不作法な国民ではないし、第二次大戦後は外国に対して腕力を秘めて行動するなどということはおよそしてこなかった。日本が平和憲法の下で身につけた村役場の書記のような頼りなさそれは、世界に対する謙虚さとして、きちんと評価されていいことです。
▼二十一世紀は、国家としてのうわべの勇ましさなどは評価されない、人間の時代なのですから。」(司馬遼太郎)

▼しわくちゃの茶色い切り抜き一枚が、偶然出てきたことの幸運・・・実に愉快である。そして、切り抜きにたくされた司馬遼太郎の言葉が、今、あらためて鮮烈なメッセージとして胸に響き渡ることの感慨・・・・光太郎が台所の隅に智恵子の遺した「梅酒」をみつけた時のように、書棚から零れ落ちた茶色い切り抜き一枚に今日の自分は静かに高揚している。
                          2003年2月日11日
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