囚人のジレンマ 2月20日
セキチク / ナデシコ科の一年草、宿根草。花期は4〜6月。語源は「此草の花、形小さく色愛すべきもの故に、愛児に擬し撫子といふ」からきている。セキチクは中国産でカラナデシコ(唐撫子)と呼ばれる。これに対して日本産のものをヤマトナデシコ(大和撫子)と呼び、楚々とした優しさをもった理想の日本女性を表現する言葉となった。ナデシコの花言葉は純情な愛情。
▼ベランダの小さな茂みの中から、ナデシコの花が一輪顔をだした。いい加減なことに、ここにナデシコがあったことさえ忘れていた。それにしても花開くには少し早いのではないだろうか。まあ、いいか、たまたま、ベランダのこのスポットの日当たりがまだら模様の春で、花はそれに反応したに過ぎない。驚くことはない、きっかけはもっとシンプルなのだろう。
▼連日、硬い話になって恐縮だが、興味はやっぱり、イラク攻撃を巡る国連安保理の攻防、それを横目でみながら北朝鮮が仕掛ける様々な威嚇・・・にいってしまう。この進行中のニュースについて書きたいことが山のようにあるような気がする。しばらく、この気分は続きそうだ。
▼もう10年も前になる。ミシガン大学の政治学部で「囚人のジレンマ」という授業を聴講したことがある。講師はロバート・アクセルロード博士である。
エゴイストとは、常に他人を押し退けて生きてゆくものなのか、エゴイストが自発的に協調することはありえないのか、エゴイストたちは、中央の権力に強制されなければ、協調などしないのだろうか・・・・・・冷戦時代の緊迫した政治関係をウオッチングしてきたアクセルロード博士の問題意識はこの一点にあった。
▼ゲーム「囚人のジレンマ」はそうした中から生まれた。独房に入っている囚人が二人、それぞれ別個に事情聴取を受けている、という設定である。
ルールは単純だ。参加する二人のプレーヤーは、それぞれが「協調(=C)」と「裏切り(=D)」という二つの選択肢を取ることができる。プレーヤーは互いに次に相手がそんな行動に出るか知らないままに、二つの選択肢から一つを選びださなければならない。
両者が「協調」のカードCを出した場合は、お互いが3点を得る。一人が「裏切り」のカードDを出し、もう一人がCを選択すると、Dを出したほうに5点、Cを出したほうは0点となる。双方がDを選択するとそれぞれ1点しか得点できない。プレーヤーはカードを選択した直後に、相手がどんな選択をしたかを知ることができ、そこから次の選択を考えることができる。
▼1978年、博士はゲーム理論の専門家14人に招待状を出し、ゲームを開始した。そして、この選手権で見事一位を獲得したのがトロント大学のアナトール・ラポート教授の戦略だった。その戦略とは「初回は協調のカードを出し、二回目以降は相手が協力すれば協力し、相手が裏切れば裏切る、といった具合に相手がその前にとった行動をまねる」という非常に単純なものだった。選手権は、その後も参加者を増やし、世界規模でおこなわれたが、いずれも、このシンプルな戦略が勝利した。
▼ゲームの結果を受けて、アクセルロード博士は結論を導き出した。「成功の秘訣は4つあります。第一に、先には決して逃げない、ということです。そうすればトラブルは防げます。第二には、挑発ができるということです。相手が逃げたのを受けてこちらもすぐに逃げる。これは相手の次の行動への挑発になるということです。第三の特徴は、寛容だということです。もし敵が協力をしたいと思い直すと、こちらも協力し、よりお互いの協力を深めることができるのです。そして最後は、単純だということです。もし頭の切れる相手なら、流れをすぐにつかむことができ、自分が協力的になれば相手も協力的になることに気づき、最終的に協力を引き出すことができるのです。」(アクセルロード博士)
▼10年前、この「囚人のジレンマ」というゲーム理論を取材中、積年の仇敵のイスラエルとPLOの和平交渉が急速に進展した。イスラエルのラビン首相の「私たちは敵対する関係だからこそ和平が必要なんです」という言葉は実に印象的だった。
▼アクセルロード博士の理論は、政治学者以上に、生物学者に大歓迎された。ダーウインの進化論では強いものが勝つという競争ばかりが強調されている。しかし、生物の世界では個としては弱いものが互いに共同体をつくり共生しながら生きていくというケースが多い。個としては強くてもそのシステムをもたなかったがために絶滅してしまうケースが多いのだ。
たとえば、鳥類のミドリツバメや魚類のトビウオは、襲ってくる捕食動物の見張りを交代でしあう。誰だって見張りをするより、餌を食べていたい。しかし、もし見張りを交代すれば、他の者も交代して協力してくれるだろう。その反対に、もし自分ばかり食べてばかりいたら、他の者は交代したがらず、集団生活は成り立たないだろう。こうした共生関係は、じつに緊迫したサバイバルゲームの果てに行き着いた、生存のための最大の戦略なのである。
▼昨今の外交のパワーゲームを見るたびに、10年前の「囚人のジレンマ」を思い出す。正義の名のもとに、自分の手で中東の民主化をするんだとこぶしを振り上げる大国アメリカは、どうも「囚人のジレンマ」というゲームの中では勝ち目のないプレーヤーのようにみえるのだが、どうだろうか。このゲームでは「先制攻撃」に勝ち目はない・・・
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