ショコラ 2003年 3月14日
デージー(雛菊) / キク科の一年草。次々に咲き継いでいくようすから、延命菊、長命菊の別名もある。花は日の出とともに咲き、日が暮れると閉じるその几帳面さが誠意の象徴として中世の騎士の間で尊重されたためイタリアでは国花にもなっている。英名のデージーの由来は諸説あるが、「太陽(デイズ)の目(アイ)」からきたという説は、その姿から納得できる。ヨーロッパでは占いによく使われる。多数ある花びらを一枚一枚抜きながら
「愛してる」「愛していない」「強く愛している」とやっていき最後の一枚で占う。
▼「VOYAGE」というケーキ屋のチーズケーキと妻が書いたメモを持って渋谷の街を歩いた。東急にあるらしいという情報しかなかったが、まあなんとかなるだろうと、適当に食品売り場をうろついた。行列のあるいろんな店の活気を楽しみながら歩き回るだけで気が晴れた。
▼2000年に封切られた「ショコラ」という映画がある。敬虔なクリスチャンの住む村に、北風が吹くある日、不思議な母娘がやってきてチョコレートの店を出す。その村には教会が定めるしきたりがいくつもあった。それを皆が忘れかけると、村長がきびしく諭し元に戻してくれる・・・そんな村の断食の時期に、母娘は芳ばしい香りのチョコレートの店を始める・・・
▼この映画の封切りは2000年、同時多発テロの衝撃の直前だった。
1990年代に起きたIT革命は、アメリカ経済を一気に押し上げこの右肩上がりは限りなく続くのではないか、と皆が思っていた。しかし、この富の膨張は一方では、アメリカの分断を生む結果となった。圧倒的な富は東海岸と西海岸に集中した。その一方で、伝統的な一次産業、二次産業の拠点だった中西部の中産階級は没落し不況が忍び寄っていた。この二極化という国内問題が、今のイラク攻撃につながるひとつの伏線になっていると思う。
▼中西部には敬虔なキリスト教原理主義の人たちが多くいる。その支持を得て大統領になったのがブッシュだった。「ショコラ」の舞台はフランスだが、それを伝統的なキリスト社会のアメリカ中西部とIT革命に乗り膨張する東海岸・西海岸というアメリカの分断を象徴しているようにも見えた。
▼映画は、不思議なチョコレートに魅せられた人々が徐々に伝統の衣を脱ぎ捨てていく・・というストーリーで展開していく。映画の最後で若い神父がこんな説教をする。「今日の説教で何を語ればよいのか、私は神の奇跡的な復活を語りたいのでしょうか。違います。神のそうした神性について語るよりも、人間性について語りましょう。彼がどのように地上で暮したか、その優しさや寛容についてを私はこう思います。人間の価値とは、何を禁じるかでは決まらない。何を否定し、拒み、排除するかではありません。むしろ、なにを受け入れるかできまるのでは?・・・」
その静かな語り口が村人の心を打ち、人々は自由な暮らしを手に入れる、というのが「ショコラ」の大団円である。
▼アメリカ資本主義のグローバリズムと膨張主義は、世界各地での大きな批判をあびていた。その中でのチョコレートによる人々の解放についての話、心地よさに隠されているが違う視点で考えなければならないテーマがある、と映画を観た当時、思った。
▼同時多発テロ前後の新保守主義の台頭、そして「自由を世界に」というアメリカの精神的な膨張主義が露になる昨今の中では、この「ショコラ」の見方もさらに複雑になる。
▼今、アメリカは圧倒的な軍事力を表に出して「抑圧された人民をアメリカが解放し、人々に自由を与える!」として膨張する勢いだ。「イラク攻撃」と「ショコラ」も共通のテーマは「自由への人々の解放」だろう。ただ一つ違うのは、「ショコラ」には「正義」や「大儀」がない、ということである。
▼歩き回って、ようやく渋谷東急地下売り場で「voyage」に行き着いた。長い列ができていた。このチーズケーキ一つで、家庭につかの間の平和が来るのなら決して高くはない、列に並んだ。
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