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5千年後のメソポタミア(1)   3月26日

モクレン(紫木蘭)/モクレン科モクレン属 やや芳香のある6枚の花弁は濃紫紅色で内側は淡桃または白色で全開をしない。 高貴な花を咲かせる花として古くかられる中国原産の落葉樹。平安時代の中ごろの書物にある古い樹。花言葉は自然の愛。

▼ペルシャ湾のウンムカスルに上陸した米英軍の地上部隊はユーフラテスユー川沿いを遡りながら、首都バグダッドを目指している。戦車隊を先頭にした長い隊列は抵抗も少なく順調に北上すると目論まれたが、ここにきてイラク側の反撃に遭遇している。

▼皮肉なことに、今、米英軍が北上しようとする一帯は、世界最古の都市文明、メソポタ文明が栄えた地域である。この地域では世界に先駆けて、紀元前8500年頃から麦の栽培を中心とする農耕・牧畜が始まった。米英軍が上陸した地域では、紀元前3500年くらいには世界で初めて絵文字を使い始めた。

▼紀元前3000年、イラク南部、チグリス・ユーフラテス川の辺に世界で初めての文明都市が出来上がる。ウル、ウルク、ラガシュといった巨大な都市が林立した。各都市には神殿が建設され、都市の守護神が祀られた。王はこの神に戦争や気候変動、収穫などに関する伺いをたてて、祈願が成就した際には奉納物を捧げた。神殿をつくることは王の重要な役割だった。また、都市に住む人々を守ることも王の任務であった。都市の周囲には城壁が張り巡らされ、公共施設や堀、住居などのインフラが整備されていた。ちなみに、古代メソポタミアの人々はアヌ、エンリル、エンキを中心としたよろずの神々を戴き、みずからが住む都市の守護神を戴き、家族神を戴き、さらに個人神を戴いていた。

▼この都市の中で、今日の文明のもとをなす様々な考え方や技術が発達した。星座を定めての天文観測、それにもとづく暦(はじめは太陰暦、のちに閏月を加える)、60進法による時間や方位の区分、車両やろくろ・・・・そして文字も絵文字から楔形文字へと発展しオリエント世界の多くの文字の原型となった。
▼3万人から4万人の人々が都市で暮していたが、その多くは神官・書記などの行政官、そして宝石、木材などの加工業者であった。高度な潅漑技術を持った農業従事者や漁業、牧畜など「食料生産活動」をする人々は都市にはいなかった。都市は、文字や技術を駆使し、商業や交易をおこなうネットワークセンターとして機能した。メソポタミアは肥沃な泥と灼熱の太陽、そしてチグリス・ユーフラテスの水以外には天然資源はない。そのため、石材・木材・鉱物などは周辺の地域から輸入しなければならない。交易が発展した。レバノン杉やヒマラヤ杉がレバノンやインダスから運び込まれ、タウロス山脈から金が輸入された。銅はオマーン半島やキプロス、錫はアフガニスタンから輸入した。輸出するものとしてはメソポタミア産の穀物、織物、加工された装飾品だった。
▼これほどまで高度な文明都市が5000年も前にあったことに改めて驚く。文明を築いたのはシュメール人であるが彼らがどのような人々だったかは、いまだに考古学上の謎とされている。

▼バグダッドを目指す米英軍の地上部隊がユーフラテス川のほとりの都市ナーシリアでイラク民兵の激しい反撃を受けている、というニュースが飛び込んできた。ナーシリアには、ユーフラテス川に架かる戦略上重要な橋がある。橋を巡って繰り広げられたイラク民兵組織の「サダム殉教者軍団」との激しい銃撃戦で、米英軍は50人もの死傷者を出し、隊員の間に激しい動揺が広がっている、と報じられた。また、この戦闘でイラクの民間人10人が死亡し200人がけがをしたとニューヨーク・タイムズは報じた。
▼いまも激戦が続くナーシリアのすぐ近くに、シュメール人がつくった都市のなかでも最も貴重だった「ウル」の遺跡がある。ウルは政治・経済の中心として繁栄してきた。しかし、遺跡は今激しい戦火にさらされている。湾岸戦争の際にも「人類最古の都市であるウルを絶対に攻撃してなならない」というブッシュ(父)大統領の声明に反してミサイルが着弾し、遺跡が崩れた。
▼ウルの遺跡の中からは、5000年前この都市で暮したシュメール人たちの格言が刻まれた粘土板が見つかっている。
 「楽しみ、それはビール、いやなこと、それは遠征」
 「快楽のためには結婚、よく考えてきたら離婚」
 「パンがある時は塩はなし、塩がある時はパンがない」
 「友情が一日続くが、血の関係は永久に続く」    ・・・・なんとおおらかな暮らしであろうか。その後、様々な形で、このユーフラテスの辺に、文明と名のつくものがやってきたにちがいないがこの5000年前のウルの町が最も豊かにみえてくる。本当に人類は進歩しているのだろうか。


▼朝日新聞の従軍記者、野島剛氏はナーシリアでの激しい銃撃戦の模様を連日報告している。彼が集めた 5000年後の市民の声
 「イラクの大統領に親愛の情はない。だが米国人は敵の兵士とイラクの民間人を区別できなかった」
 「君たちはフセイン体制を放逐したのか。バグダッドへ行け。ここで何をしているんだ。」
 「僕らは見捨てられたんだ。誰も食べ物をくれないし、安全にもしてくれない。ここに来る人は、サダムの軍と戦って、去っていくだけだ。」
▼26日朝刊で野島記者はナーシリアの市内での激しい銃撃戦に同行しルポしている。市内での壮絶な戦闘の模様を報告した後、記事はナーシリア市内を抜け出したあとの描写で締めくくられていた。
 「 トラックが市内を抜けると、田園風景が目に入った。チグリス・ユーフラテス両河川にはさまれた古代からの肥沃な農村地帯だ。」

          参考:四大文明(NHK出版)・世界史B(東京図書)

      
                     2003年3月26日                  
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