二人称の愛 3月30日
レンギョウ(連翹)/モクセイ科レンギョウ属。中国原産。。高さ2メートルぐらいの落葉低木。花が葉が出る前に前年伸びた枝の節に一〜三個つく。径2〜3センチの鮮黄色の小花が咲き乱れる。花冠は深く四裂している。花言葉は希望、深情け。
▼2000年のカンヌ映画祭でカメラドール新人監督賞と国際批評家連盟賞をダブル受賞した、「酔っぱらった馬の時間」という映画は、今のイラク情勢を考えるうえでの原風景になっている。現場にすぐに飛んでいけない者にとって、おこっている現実を想像するためにはこうした映画は欠かせない。
▼イラン=イラク国境の山岳地帯、クルド人の村が舞台である。イラク・イラン・トルコ、シリアの4カ国の国境を接する山岳地帯地域で暮らすクルド人は3000万人ともいわれている。第1次世界大戦後,オスマン・トルコを解体していく過程で,イギリスなどの列強はクルディスタン(=クルド人国家)の独立を一度は約束したが,まもなくその約束は反故(ほご)にされ,結局,クルド人国家が誕生することはなかった。以来、クルド人は国家を持たない「世界最大の少数民族」として列強の権力抗争に翻弄されつづけている。
▼ イラン・イラク戦争の末期、1988年、イランと手を組んだクルド勢力は裏切り者としてフセインのイラク軍に毒ガス攻撃を受け、数千人の人が一瞬にして殺害された。1991年、湾岸戦争直後、アメリカ軍の呼びかけでフセイン政権打倒を掲げ民衆蜂起をしたが直前になってアメリカ軍が方針を変え撤退したために孤立し、その後フセインにより徹底弾圧を受け多くの死者をだした。民衆の中にはフセインへの根強い反抗心とさらにアメリカに対する不信感が同居している。
▼クルド人監督による「酔っぱらった馬の時間」は、そんなきまぐれな権力抗争の中で、黙々と家族のために働く少年の物語である。両親を亡くした5人の姉弟を物語の軸にしてカメラは過酷なクルド人の暮らしを切々と描きだす。登場人物は素人、特撮など一切ない。すべてが飾りない現実そのものである。
▼厳冬のイラン・イラク国境。凍えた馬に酒をふんだんに飲ませる。その背中に密輸品のタイヤを載せ、武装した国境警備隊、星の数ほど仕掛けられた地雷の間を掻い潜りながら、密輸キャラバン隊がいく。少年アヨブの父もこの危険な密輸で一家を支えていた。しかし、ある日、国境から戻った密輸の一行は、遺体を馬に乗せて帰ってきた。地雷にやられ死んだのはアヨブたち姉弟の父親だった。次の日から12歳のアヨブが家長として姉弟を支えることになる。
▼アヨブたち姉弟には不治の病に冒された15歳の兄マディがいた。姉弟がマディをいたわり、けなげに助けあう日常のシーンの一コマ一コマが心に染み入る。兄の病を治すにはイラクで馬を売りその金で手術を受けるしかない、と聞き、アヨブは危険な国境を渡る決意をする。背中に兄を背負い、酔っぱらった馬にはタイヤを載せ、国境警備隊が待ち受ける雪原を行く。そして、案の定、警備隊の待ち伏せにあい、来た道もふさがれ、谷底へ転げ落ちていく。一度、べろべろに酔っ払った馬は起き上がろうともしない。懸命に逃げ生き抜こうとするアヨブの姿をカメラは執拗に追い続ける。・・・・ 国家や独裁者の権力抗争に翻弄され、それでも生き抜こうとする民衆を支えるのは、家族や身内への深い二人称の愛情である。その絆の重みを、この時期、静かに描きこんだクルド人監督バフマン・ゴバディの存在は大きい。
▼イラク戦争が始まって、懸念されるのがイラク国内から周辺諸国へ大量の難民が押し寄せることである。しかし湾岸戦争と違い、今回は大量難民が発生したという報道はまだない。それどころか、ヨルダンやトルコに出稼ぎにでていた男たちが退去してバグダッドへ帰っている。アンマンからバグダッド直行便のバスの中、テレビカメラに向かって男たちは「フセインを守るぞ!」と気勢をあげる。バース党の監視役が目をつけているからこの掛け声をそのまま信じることはできないが、危険な故郷へ戻ろうとする男たちが後を絶たないのは事実である。
▼男たちが帰郷する訳は、バグダッドに家族がいるからである。「フセインのために!」という大儀は危険な帰郷の原動力にはならない。彼らを動かしているのは妻や子供たちへの切実な愛情である。帰郷後、どんな運命が待ち受けているかわからない、しかし、家族のために彼らは戻る。
そして家族を守るために銃を持つのである。向けられる銃口の先がフセインであろうが米兵であろうが関係ない。これが生命体共通の性である。
▼兄を背負い酔っぱらった馬をひっぱりながら、アヨブ少年が有刺鉄線が引かれた国境線を超え、イラクに入っていくシーンで、映画「酔っぱらった馬の時間」は終わる。
兄を救うために国境を渡ったアヨブにどんな運命が待ち受けているのか・・・・2003年3月、改めてこの映画を思い出すといっそう心は複雑になる。
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