トップページにもどります

  縺れる      2003年3月31日

カタクリ(片栗)/ユリ科カタクリ属。雪解けとともに一斉に開花する。高さ10センチから20センチの茎の先に5センチくらいの淡い紅色や紅紫色の花を咲かせる。雨の日や暗い日には花を開かない。長楕円形の球根を砕いて水でさらし乾燥させると上質の「片栗粉」ができる。花言葉は嫉妬、初恋。


▼司馬遼太郎によると、江戸時代、庶民から尊敬される人物は「忠恕の人」だったという。忠恕とは「まごころとおもいやりがあること、忠実で同情心が厚いこと」(広辞苑)。町の実直な職人やご隠居さんが尊敬を集めた。それが影を潜めたのは、戦後の高度成長とその果てのバブル期での金満国家ニッポンのうねりの中である。その余波が今も、奇妙な事件となって時々、弾けて顔を出す。一方的なこちらの都合だけで、相手を押し切り、うまくいかなければ弾けてしまう。そんな、相手のことを思いやる想像力の欠如が、ひょっとしたら戦争より深刻なこの国の病巣かもしれない。


▼イスラム教シーア派の民衆が多くいるバスラに入った若い兵士達。人々に食料や水を配った。人々は黙々と列を作って支給されるのを待った。「どうしてもっと喜んでくれないのか。これで水や食料は確保できたのに。・・・」 市民の一人が答えた。「でも、あなたたちが攻め込むまで、kこの町で、水は普通に手に入れることができた・・」 
▼湾岸戦争後、米国軍の呼びかけに応じてシーア派の民衆は蜂起したが、突然、米国が撤退したため民衆は孤立した。彼方からやってきたヘリコプターをみて人々は米国軍だと思い手を振った。しかしそれはフセインの軍隊だった。皆、撃たれて死んだ。99年、反体制のデモをし100人以上の死傷者を出した。この時も海外は無関心でイラクの人々は取り残された。過去30年間に何度も、裏切られ続けた民衆は、そう簡単に旗を振って米英軍を迎えられないのだ。どうせ、また、興味を失って去っていくだけだろ!不審のまなざしで若い兵士を見つめる。兵士は想像しなければいけない、彼らの踏みねじられた歳月を。

▼その一方で、バスラの町を行く従軍記者に、町人が近づき、耳元で口を動かさずささやいた。「彼はもう死んだのか」・・・・「彼はもう死んだのか」 彼とはもちろんサダム・フセインのことである。今、複雑に縺れたイラクの人々の心に忠恕の眼差しを向ける気合を忘れたくない。
       
                     2003年3月31日                  
トップページにもどります