距離 4月9日
ナノハナ(菜の花)/アブラナ科アブラナ属 花言葉は慈愛
▼道行く彼方に、黄色い菜の花の群生が見え隠れする。橋の下に降り立ちレンズを入れ替えて、思いっきり近づいていこうと思うが踏みとどまった。河原に降りゆくまでにある雑草茂る泥濘、そこに背広姿ではちょっとやばい、それにフイルムの残りもあと数枚、無理をせずに橋の上から望遠レンズで撮るにとどめた。帰ってこうして見てみると、なんとも物足りない。やはり、その黄色の色彩を画面一杯に敷き詰めた近景がほしくなる。現場でのちょっとした躊躇があとで大きな後悔をもたらす、こうした経験を何度繰り返してきたことだろう。なんとも煮え切らない「菜の花」になってしま
った。
▼また、イラク戦争の話。米英軍は8日、バグダッドで政府の主要省庁が集まるチグリス川西岸の中枢地域や首都南東の空軍基地をほぼ制圧した。
▼バグダッドには300人もの外国人ジャーナリストが入っている。彼らの多くは東側の中心地にあるパレスチナ・ホテルに滞在し、屋上やベランダに中継カメラを据え、日々、市内の模様を伝え続けている。市内での爆撃の取材などは、イラク情報省の設定した場所へ皆でツアーする、という形になることが多いようで、さぞかし、もどかしいだろうと思う。戦場の真っ只中にいながら、遠景でしか実相をつかめないのではないか?
▼ところが、この取材拠点のパレスチナ・ホテルが米陸軍第三歩兵師団から砲撃を受けた。誤射なのかどうか真相はよくわからないが、弾は15階ベランダで撮影していたロイター通信のウクライナ人テレビカメラマン、スペイン人カメラマンを直撃し二人は死亡、三人が負傷した。ロイター通信の部屋の隣は日本の民放から派遣された日本人ジャーナリストの取材拠点だった。被弾直後から、テレビ局はその惨劇の現場と中継で結びながら繰り返して伝えた。
▼現地の画面に登場した記者は茫然自失、言葉も失っていた。無理もない、この危険な取材に体を張って集まった各国のジャーナリストは同じ宿で同じ釜の飯を食う何日もの間、肉親のような連帯感を持っていたにちがいない。その仲間に突然の被弾、その無残な部屋の様子、そして血まみれになったカメラマンが運ばれる映像が挿入されての中継は、あらためて戦争の残酷さを肉親の死のような説得力で伝えていた。初めて、この戦争をわがことのように思えた映像に出会った、といっても過言でもない。東京のスタジオもそうした視聴者の反応を意識して、じつにしつこく情緒的な質問を繰り返す。その質問に冷静に答えようと現地の記者は努めるのだが、何度も質問されると、ついスタジオの意図に会わせるかのようにジャーナリストというより仲間を失った個人の顔を出す。長い問答を聞きながら、やがて、そのスタジオのアナウンサーの表情に嫌悪感を覚え始める。現場は2人称の苦しみを暴露し、それを受け止めるスタジオは、人々の殺人や狂気を平然と次々に伝える、燃え尽きた3人称の無責任さを露呈している。
▼距離感ほど難しいものはない。柳田邦夫氏が「ジャーナリストの姿勢は2人称と3人称の間、2.5人称の間合いが重要だ」と書いているのを読んだことがある。確かにそれが理想だと思う。バグダッドの路上の人々の死を、肉親の死に直面したような痛みみで伝えられるか、また受け手もそこまでの感受性で、一つ一つの出来事を心に刻むことができるか・・・・懸命に客観的な報道をしようとするパレスチナ・ホテルの記者と、なんとか涙をひきだそうとおざなりの質問を繰り返す東京のスタジオの若いアナウンサーの間の空気を見ながら、そんなことを考えていた。
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