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剛ならず 柔ならず 草にあらず 木にあらず                    5月10日

タケ(竹)/竹は身近だが、植物学の分野ではなぞに満ちた存在となっているらしい。
竹は「木」か?「草」か?長い問論争されてきた。稲のような花、種子なのでイネ科に属すが、木のように何年も生き、枝葉を伸ばして成長するので木の仲間にる。時にはイネ科ではなくタケ亜科植物として分類されてい場合もある。竹笹の分類は属、種共に現在に至っても未解決である。
 竹と笹の区別は、竹の皮(棹鞘)の成長にしたがって落ちるものが竹で、何時までもくっついているものが笹。日本に自生している竹の仲間はマダケ属、シホウチク属、ナリヒラダケ属、ホウライチク属、オカメザサ属。オカメの面をつける笹や、よく庭に植えられているのはオカメザサでこれが竹の仲間なのだ。釣竿にもなっているヤダケ、メダケ、カンチクといったたぐいは笹の仲間なので、名前からではどちらかわからない。
 竹の花が咲くのは四十年から五十年というが、気候、人工的な何かの刺激に誘発されて咲くばあいもある。花芽形成ホルモンの微量な炭素化合物の増加が開花につながる。竹の種類によっては毎年どこかの棹に花が咲くと聞きく。花が咲いたから、その株が全部枯れるといったものでもない。これだけ多様な姿を見せる竹は、おそらく進化の途上にある植物に違いない。(参考:ホームページ「草木のよもやま話」より)

憲法記念日がすぎ、会社では人事異動も近くなり、ざわざわとしてくる。この時期、板橋区にある日本庭園を訪ね、すっくりと天に突き刺す若竹をながめる。
▼庭では今年も若竹がまっすぐに天空を睨んでいた。24時間で90センチもまっしぐらに伸びる目を見張る成長力、天からの圧力を空洞の構造でかわし薄い木質部を強硬にし体を支える。さらに横からの力に対応するために、一定間隔で節をつくる巧みさ。節はパイプを一定間隔に補強し、その結果素晴らしい弾力が生まれる。 「苦節十年」という言葉はこの竹の営みから生まれた。

  竹         萩原朔太郎

光る地面に竹が生え、青竹が生え、地下には竹の根が生え、根がしだいにほそらみ、
根の先より繊毛が生え、かすかにけぶる繊毛が生え、かすかにふるえ。

かたき地面に竹が生え、地上にするどく竹が生え、まっしぐらに竹が生え、

凍れる節々りんりんと、青空のもとに竹が生え、竹、竹、竹が生え。

▼朔太郎は竹の本質を一瞬にして見抜いた。竹の本質は地下にある。地下に張り巡らされた「地下茎」にも節があり、竹が枯れてもその節から芽がでて新しいタケノコが生まれる。その地下に張り巡らされた増殖のネットワークの生命力を朔太郎は見事にとらえた。
▼地下に増殖のネットワークを持つゆえに、竹にとっての花はそんなに大きな意味を持たないのかもしれない。いつ咲くのかわからない気まぐれな花には蜂は蝶も付き合ってはおれない。その色気も絶ったたたずまいに心ひかれる人々は古代から多くいた。陳舜臣氏の文章からの引用  「・・・中国の文人も竹を愛したが、かならずしも竹が貧乏とゆかりがあったからではないだろう。鄭板橋のように、蜂や蝶があつまってこない、すっきりした状態のゆえに愛した人もいた。ちゃんと正しく節がついている実直さが気に入った人もいた。冬でも青々としている、その変わりないところがよいとほめた人のいた。『竹譜』という晋代の文献に竹のことを、―剛ならず、柔ならず、草にあらず、木にあらず・・・既成の範疇におさまらないところが、竹の特徴なのだ。」(陳舜臣「竹におもう」より)
▼人事の季節、竹林で思う。既成の範疇におさまらない生き方をしよう。

                          2003年5月10日
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