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 ねじれた時間           6月15日

  ネジバナ / ラン科の多年草。ランといえば高貴な花というイメージが強いが、野生するランとして野原に咲くめずらしいラン。細長い根生葉の中から花茎が20センチ前後にのび、その花穂にピンク色の花が巻きつくようにつく。螺旋のねじれ方は右巻きのものもあれば左巻きのものもある。

久しぶりに団地のテニス・サークルに顔を出した。中年時代も峠をむかえた人々の穏やかな集りである。しばらく深夜の仕事が続いていたため、ご無沙汰していたのだが、淡々と試合に興じる、その落ち着いた空気は変わっていない。
▼この同好会の設立者の一人でもあるAさんは、電気メーカーに勤めているが、定年を前に自ら希望して、故郷に近い北陸の支店に単身赴任した。本社のややこしい人事構成をパスして小さくても一国一城の主を選んだその英断を聞いた時、心に清風が吹いたものだ。そのAさんも久しぶりに戻ってきてコートを走っていた。

▼心地良いテニスを追え、コートを出た時、Aさんがこんな言葉を口にした。「父の日くらいは帰ってきて・・・といわれて戻ってたんですが、みな好き勝手やってて、なんにも祝ってくれない。まったく・・・」  にこにこしながら、ちょっと溜息混じりに出た言葉に、強く共感する自分がいる。
▼そうか、きょうは父の日か、去年は次男がネクタイを買って机に置いてくれたが、今年はそんな気配はない。
自分だって子供たちの誕生日に何か贈るわけでもなく、
妻に贈り物をすることもない。時間の節目に機敏に反応する気配りを失ってから久しい。まあ、それは置いといて、Aさんの言葉にひっかかったのは、そこに「単身赴任」を経験した者が持つ共通の歎息を見たからだ。
▼単身赴任は家族との共通の時間を断ち切ることになる。最初は束縛から解放されると喜んでみせるが、やがてたまに帰ると、家族がそれぞれ自分たちの時間をいきいきと生き、そこに父である自分の存在が入る余地のないことを感じる。その疎外感は、単身赴任を終えて再び家族と一緒に暮らし始めた時に、さらに強くなる。自分の居場所がない・・・。
妻や子供たちは、父親がとりあえず帰ってきたことで安心するのかもしれないが、父親は不在の間に刻まれ始めた時間に戸惑ってしまうのだ。

▼Aさんの言葉を受けてそんなことを考えながら、ふと
足元を見ると、クローバーの群生の中に、すくっと一本の細い螺旋の茎がピンクの花弁をからませながら伸びている。ねじ花だ。奇遇だと思った。

▼恋愛のすえ結婚した妻はすぐに、仕事に忙殺され自分との時間を忘れ勝手に知らない時間を紡ぎ始めた夫に歎息し、やがて自分も勝手に時間を紡ぎ始める。それぞれの時間が捩れながらのびていく。接点があるようでない捩れた時間。妻はそんなことはとうの昔に悟っているのに、自分は単身赴任になり初めて気づきあわてふためく。

家族がそれぞれの時間をねじらせながら接点があるようでないような暮らしを紡ぐ。そんな心の風景をねじ花の姿は見事に象徴しているように見える。

▼家に戻ると、故郷の母からの手紙が置いてあった。連絡のない息子にしびれを切らしたのか、手紙の最後に70何回目かの母の誕生日の日付が記されてあった。ここにもねじれた時間がある。

                          2003年6月15日
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