忘れられた草 6月16日
ヒルザキツキミソウ(昼咲き月見草) / アカバナ科マツヨイグサ属北アメリカ原産の多年草。大正時代に日本に入ってきて、花壇などに植えられているほか、野生化したものも見られる。昼間に花が開くので月見草とは区別できる。5月〜7月に淡いピンクの花が咲く。丈夫なので植えっぱなしにしておいても毎年咲いてくれるl。
▼通勤の途中で東京都庁の庁舎を通り抜けることが多い。そのたびに思う。バブル期の日本人でないとこんなぜいたくで無駄にあふれた空間を創ろうなどとは思いつかないだろう。驕り高く周りを威圧するその全貌はかつてこの国にも物質的繁栄を誇示した時代があったことを後世に伝え続けるだろう。金にまみれた時代は決してよかったはいえない。しかし、その副産物として生み出されたものは、それはそれとして大切に継承していきたい。
▼同じ時期、完成した光が丘団地。外れるのを前提で毎月申し込んでいた住宅公団の抽選に当たった。60倍近い倍率で当選するなんてそうあることではない。すぐに無理を承知で入居することに決めた。光が丘団地にもバブル期の高揚した日本人ならではの、意気込みが感じられた。職住接近、ゴミ廃棄物を再利用した熱水供給システム、そして広大な公園と住宅地帯の共存・・そのコンセプトにはゆとりのあったバブル期の日本人の青臭い理想主義が満載されている。
▼その中で一番気に入っていたのは、道路の分離帯に作られた広い水路や花壇などぜいたくな公共のスペースだった。道路の横断歩道もわざわざ花壇を広くとってあった。これもバブル期の設計者ならではの、ゆとりに満ちた配慮だと思っていた。
▼ところが最近、すこしづつ様子が変わってきている。まず横断歩道を広くする工事が始まった。
実は花壇に植えられた芝桜の群生が年々美しく広がっていくのを楽しみにしていたのだが、あっという間に土が穿り返され、コンクリートの広い歩道に変わった。残された狭いスペースに再び芝桜が植えられているがもとの風景はかえらない。
▼商業ゾーンから公園に向かう大通りの真ん中にあった水路と花壇も、ある日、コンクリートで埋められていた。道路は広くなり良かったという人も多いだろうが、バブル期の贅沢な石畳の道の真ん中になん思想もないコンクリートの塊が埋められているのはなんとも不愉快だ。
▼なぜこんなにも日本人は忘れっぽくなったのだろうか。みなお金持ちだったバブルの頃は、みなの心にゆとりが生まれた時期でもあった。そのゆとりが全国各地に生み出した青臭い造形、小さな村に聳え立ったとんでもなく豪華な村役場。ばら撒かれた補助金を使ってのとんでもない風景は滑稽極まりないが、いったんこの世に生まれ出たものは慈しみたい。メインテナンスに金がかかるからといって放置される各地の施設をみると切なく不快に落ち込む。
▼今の時代は効率化に走らなければならない、維持にかか費用は少しでも切り詰めなければならない、そのことはよしとして、過去、ようやく手にした「ゆとり」が生み出した副産物まで安易につぶしてしまう必要はあるのか、それを保持していくことに知恵を絞ってもいいのではないか。
▼手入れもされなくなった公園の花壇の一つに、今年も「昼咲き月見草」が寄り添うように咲いている。何年も前に植えられ、これも忘れられた草だ。
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