雨の中の紫陽花 6月18日
ガクアジサイ(額紫陽花)/日本固有の種類で、房総・三浦半島・伊豆半島・伊豆諸島・小笠原等の沿海地に自生する。ガクアジサイの名は、花序の周縁を装飾花が額縁(がくぶち)のように取り囲んでいることから付いたもの。装飾花の花弁のように見えるものは、萼。装飾花は白色からやがて青、紫へと変化していく。
▼さて、きのう紹介したドクダミの群生から目を転じよう。その横には額紫陽花が咲いている。
その時、あたりの空がにわかに暗くなり雨粒が公園に落ち始める。途端に、そう途端といっていい、額紫陽花の青が鮮やかに浮かび上がる。しかもその青を解き放っているのは、周りの装飾花ではない。晴れた日は光りが当たると強く反射しなにやら、くすんで見えていた真ん中の小さな花弁だ。暗い空に向かって青い真珠達は思い思いに自由に弾け始める。それに呼応して額縁を演じる装飾花に弾かれた雨粒がキラキラ光る。それは暗い雲を潜って突然見えてくる都会の夜景に似ている。
▼あわててシャッターを押しながら、その時思い浮かんだのは、最近見た映画「ムーンライト・マイル」の一場面だった。この映画、ダスティン・ホフマン、スーザン・サランドンといったベテラン俳優が夫婦の役を演じる。二人は結婚式を直前に控えた娘を突然の銃撃で失った。その娘の婚約者を今売り出しの若手ジェイク・ギレンホールが演じる。ブラッド・シルバーリング監督が若い頃経験した実話をもとにしたストーリーには思いがこもっており、それを演じるそれぞれの役者もリアルで印象深い。話の筋は省略するが、個人的にはこの映画の中で最も心に残ったのは、余り知らない女優エレン・ボンペアの存在だ。主役級の3人に比べ高い評判にもなっていないが、青い真珠のように耀いて見えた。
▼婚約者を失ったジェイクは、すでに出してしまった結婚式の招待状を回収しに町の小さな郵便局にいく。狭いカウンターの中から顔を出したのがたった一人の郵便局員役エレナだった。大きな布袋いっぱいにある手紙の束の中からエレナとジェイクは75通のピンク色の招待状を探す。その時のエレナの活発な艶やかさが際だつ。ジェイクは亡くなった婚約者の両親と住むことになる。その夜、外は雨、びしょ濡れのエレナが見つかった招待状を持って玄関口に現れる。その艶やかな表情が圧巻だと思った。
▼映画「ムーンライト・マイル」の設定は1973年、アメリカはベトナム戦争に敗れ、強いアメリカ信仰に大きな陰りがでていた。人々は国家の威信に背を向け、個人のための国家を求めささやかでも自分の掌におさまる幸福をもとめようとした。この年、私も一浪の末、大学に入った。田中角栄の膨張に国家は有頂天だったが、若者はささやかで柔らかな幸福を求めた。アメリカではフラワーチルドレンといわれたが、日本ではシラケ世代などと揶揄された。団塊の世代からは「お前らには気概がない。なにを考えているのかさっぱりわからない。」と云われたが、心の中では、岡林信彦の生き方を気にしながら、ローリングストーンズやエルトン・ジョン、デビッド・ボウイに心酔しボブ・ディランを相変わらず尊敬していた。
▼我々シラケ世代の男は胸の中は複雑でいろんなことを考えているのに、ちょっと上の世代に圧倒され口ごもってばかりいた。しかし、同世代の女性たちはなぜかテキパキと明朗で優しく主体性に溢れていたように思う。映画「ムーンライト・マイル」のバック音楽はまさにあの頃の空気そのものを心憎いほど作り上げている。その舞台装置の中で登場するエレナはそんな70年代の女性の艶やかさを見事にかもしだしていた。
▼雨の中、びしょ濡れのエレナの満面の笑み、降り出した雨の中でにわかに青い輝きを弾き出す一瞬の紫陽花と重なる。
▼この映画は2002年9月、同時多発テロから1年のアメリカで上映された。人々は映画の創り出した「痛み」をどう受け取ったのだろうか。ベトナム戦争の頃、「俺たちに明日はない」「明日に向かって撃て」「イージーライダー」そして「卒業」とアメリカン・ニューシネマが時代の旗手となった。それから30年、テロ後の今、どんなムーブメントが生まれるのか・・・。
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