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    退院おめでとう            7月18日

▼U君にとってきょうは記念すべき日である。それを祝して、夏の日差しを浴びて耀く釣鐘型の草をU君一家に贈りたい。
▼もう25年も前の昔、テレビ局の神戸支局のディレクターとして働いていた。大阪局からのVHF波の電波が近畿地方一円に届く中で、神戸局はその下でUHF波の電波を使ってわずかばかりの県域放送を出す小さな放送局だった。ほとんどの家庭は大阪局からの放送を視聴し神戸からの放送を見てくれる人は少ないとわかっていながらも、5人ばかりのディレクターはささやかな番組づくりに精を出した。
▼予算もない。中継車もない。スタジオのセットをつくるのも自分たちでやった。県域の放送は、自分で写真を撮ってきて、それを順番にスクリーンにうつして放送するスライド構成が主なものだった。それでも夢中で番組づくりに没頭する毎日だった。
▼一年後輩のM君とは朝から晩まで一緒だった。M君も自分と同じように不器用で、仕事をするのに人の何倍も時間がかかった。二人はいつも深夜まで局にいた。
▼そんな要領の悪い二人の下に、さわやかな若者が配属されてきた。それがU君だった。新人のU君と初めて会った時のことは忘れられない。炎天下の明石球場、夏の甲子園予選の放送準備に追われていた時、短パン姿にナップサック、軽やかに現れた君に夏の強い日差しが良く似合った。不格好な二人の先輩とは対照的なすがすがしい新人だった。
▼それから気がついてみれば四半世紀が過ぎていた。今度の人事異動でM君が松山から東京に戻ってきた。再会を祝ってまもなく、M君からU君が大手術をしたことを聞き、二人で病院に見舞いにいった。
▼大手術をした直後とは思えぬほどU君は元気に見えた。病床でもさわやかな人はいるもんだな、と改めて感心した。見舞いの病室で、M君が東京での新しい仕事について話し始める。やがてそれは愚痴になりそれにつられてこちらも愚痴がはじまる始末だ。なんとも気配りにかけた、とんだ見舞いになったものだが、U君はそんな至らぬ二人の先輩を笑顔で包んだ。一瞬にして3人は時を取り戻し、あの神戸局にいるような気分を満喫した。
▼「きのう、ジーンズをはかせてみたの」とそばにいた奥さんが言った。スリムなU君にはジーンズが良く似合う。ジーンズをはいた夫を連れて昨日は病院の近くの銀座を歩いたという。

▼それから数日たってU君からメールが来た。「きょう主治医による診察の結果、18日に退院と決まりました。」退院したU君はしばらく自宅でリハビリしながら再起を目指す。

▼U君の病室で、久しぶりに二十歳代の自分と再会した。神戸時代の思い出話をしながら、U君がこう言ってくれた。「あの頃の先輩のつくる番組は面白かった。」 それからしばらく、いや今もその言葉が励みになっている。お見舞いにいって、逆に励まされて帰ってくるのだから呑気な男である。
▼自分で写真を撮り、録音テープを回し、時間をかけて青焼きの台本を作り・・・・なにからなにまで手作りのささやかな番組つくりに情熱を燃やしていたあの頃、このホームページに打ち込む作業からもあの時代の感覚と似たものを感じている。だから、稚拙であってもこの「草木花便り」はつづけていこう。

▼7月18日、ジーンズ姿の君が奥さんと腕を組んで家に帰る日。家では二人のお子さんが満面の笑みで父と母を迎えてくれるだろう。

▼外では釣鐘型の小さな野花が風に揺れて鳴っている。花言葉は祝福。

                          2003年7月18日
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