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 時計じかけのオレンジ @  7月14日

 カンナ/ カンナ科カンナ属。アフリカ原産。野生種は花びらも小さく見栄えがしないが、フランスやイタリアで改良が進んだ。江戸初期に渡来、夏の日差しを浴びながらエネルギッシュに花を咲かせる。花言葉は 妄想、情熱、疑惑、尊敬。

昨日ふと思い出したので、きょうは「時計じかけのオレンジ」について書きたい。これは1971年に公開されたスタンリー・キュブリック監督の作品である。若い頃から今に至るまでキューブリックの作品の中で特に影響を受けているのが、この「時計じかけのオレンジ」と「2001年宇宙の旅」である。二本には多感な高校生の頃、郷里のかび臭い映画館で初めて出会い、その後、何度となく繰り返して観てきた。

▼「2001年・・・」でキュブリックが描こうとした宇宙150億年の生命の環についての啓示は、勝手に自分の中で妄想化され、先日も書いたが(1月18日「奇縁」)、町を歩いていて忽然と目の前に現れるユリノキなどは、「ああこれが俺にとってのモノリス(映画「2001年・・・」の中の啓示的存在) だと思ったりする。

▼「2001年・・・」を送り出した直後、キュブリックが取り組んだのが「時計じかけのオレンジ」である。舞台は1984年、映画ができた1971年から見れば近未来である。この映画のテーマは暴力の連鎖だと思う。その連鎖も一直線上ではなく、放射状、らせん状に迷宮化する連鎖である。キュビリックは宇宙150億年の時空を越えて生命の環を描いた後、どうしても見逃せない文明社会の陰惨な暴力の連鎖に触れざるを得なくなったのだろう。そこには一見、高度に文明化された明るい近未来が内に抱え込んでしまった、自己喪失の果ての統制社会が生々しく描き出されている。
▼ 主人公は高校生のアレックス、3人の仲間を引きつれ、夜ごとミルク・バーに集まり、ミルクに注がれたドッラグを起爆剤にして、町に繰り出す。ホームレスの襲撃、強姦、窃盗、殺人・・・・エスカレートする少年たちの暴力を「ベートーベンの第9」「ウイリアムテル序曲」「雨に唄えば」に乗せて、スピーディーに描き出す。夜が明けて帰り着く家は市営団地、両親は善良な市民である。過保護に育てた息子のことが心配ではあるが何も言い出せない。更正委員はアレックスのことを
気にするが「君がまた暴れると組織の中での自分の立場がない」と情けなく広言する。映画のプロローグで示された世界は、民主主義と自由社会がたどり着いた、無軌道で無責任なな市民生活の姿である。
▼高校生だった私は、前作とあまりに違う映画の滑り出しに呆然としてしまった。そして、不覚にもこの前半の描写だけに引っ張られ、映画の後半や大団円の深層にまで思いを馳せることはできなかった。後半のことについては明日書くことにして、この無軌道な近未来社会について今日は書きたい。

▼この映画から10年たった1981年、放送局に勤務する私は、首都圏のニュースや話題を追っていた。冬だった。横浜で衝撃的な事件が起こった。中学生の集団が山下公園のホームレスを襲い、その一人が殴殺されたのだ。まさに映画の再現だった。すぐに山下公園に向った。
▼地元の警察署、犯人の中学生の自宅や学校には報道陣が群がっていた。その群れを抜け出し、山下公園に向った。そこここにホームレスがいたが、不思議にマスコミの姿はなかった。一人一人話を聞く中で、永井さんという人物と出会った。永井さんの話から亡くなったのが須藤さんという人だと知った。永井さんに須藤さんのダンボールの場所に案内してもらった。不覚にも須藤さんの出身地などは失念したが、永井さんの出身が山形県だということははっきり覚えている。鳥海山のことをなつかしく語ってくれたからだ。その後数日たっても永井さんたちのもとには不思議にマスコミは群がらなかった。マスコミは連日「中学生の心の闇」「ごく普通の中学生がなぜ・・・」など論じていたが、的にされた須藤さんや永井さんたちについては触れなかった。

▼キュブリックの映画の中で、アレックスが襲ったホームレスや人権派小説家などは「記号化された標的だった。それぞれの人生の履歴に立ち入ることもない「標的」としての個人。マスコミが騒ぐ「中学生の心の闇」、これも便利な記号のように思えた。ホームレスという言葉に記号化され取材の視野から消えていた永井さんたちを取材しようと思った。君たちが襲ったホームレスにも背負ってきた具体的人生の履歴があり日々の営みがあるのだ、とう思いを込めて「的にされた男たち」という視点での取材を始めた。
▼数日間、永井さんについて歩いた。中華街など繁華街のゴミ箱から見つける「おこぼれ」は美味に満ちていた。永井さんはビンの底に残った酒を丁寧に集め、それを銘柄ごとに仕分けしダンボールの中はさながらカクテルバーのようだった。しばらくして永井さんに聞いた。
「中学生に復讐したいですか?」 沈黙の後 「したって何になる」  
▼ 数日後、厳しい寒波が襲った。激しく雪が降り積もる朝、公園を訪ねた。いつもの寝床に永井さんはいなかった。しばらくすると、降りしきる雪の中、公園の中をゆっくりと歩く姿があった。「じっとしたら凍え死んでしまう。こういうときは公園の中を歩く」 そういって永井さんは前を通り過ぎていった。

▼ あれからさらに20年、他者を記号化し自分の中の妄想のなすがままに動く人々が闊歩する近未来の姿は、いよいよ現実味を帯びている。日々起こる、突発的な残虐事件。肉親をも記号化し他者への想像力を全く持たない覚醒社会が、輝かしい「自由」の末路なのか、そう言いたくなる事件が余りにも多い・・・・映画「時計じかけのオレンジ」の本編はここからである。
▼ 腐り始めたオレンジを時計仕掛けにするたくらみが始まる。この本編についての記憶が恥ずかしながら高校生だった自分にはない。そこまで先の未来にはついていけなかったのだろう。
 今、50才になって「時計じかけ」の意味が身にしみてわかるようになった。<つづく>
                          2003年7月14日
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