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 時計じかけのオレンジ A   7月15日

▼映画「時計じかけのオレンジ」の話を続ける。

・・・大好きな「ベートウベンの第九」の曲調にのって次々と暴行、強姦、窃盗を繰りかえすアレックスは、ある夜一人暮らしの婦人を殴殺した直後仲間の裏切りにあい、逮捕され14年の刑に処される。舞台は刑務所に移り、キューブリックの描く「暴力の連鎖」は次のステージに入る。
▼刑務所内の徹底した更正生活がナチスさながらに戯画的に描かれる。ある日、アレックスは政府与党がおこなうある実験の被験者を募集していることを知り、実験台になることを申し出る。実験が終われば刑務所からでることができるからだ。
▼それは洗脳実験だった。アレックスは覚せい剤を打たれ、瞬きできないようにまぶたを固定され、映画を見せられる。そこには暴力、強姦にまみれたシーンが途切れることなく映し出される。
この洗脳実験は、政府与党の宣伝のために企てられた。モラルの低下、治安の悪化から市民を守るために、犯罪者を洗脳して暴力や犯罪が二度とできないようにする、というのだ。その第一号がアレックスだった。
▼洗脳の結果、アレックスは暴力やセックスを目のあたりにすると吐き気を催すようになる。おまけに、その映画のBGMに使われていた「ベートウベンの第九」を聴いても吐き気を催すようになってしまう。かくしてアレックスは「善良な市民」へと洗脳される。まさに、一見すると自然の産物として明るく耀く「オレンジ」だが、その内実は主体性や個性を制御された「時計じかけ」になったのだ。
▼「時計じかけ」を実践するのは、手っ取り早く秩序を得ようとする政府であり国家である。彼らが迎合するのは「選挙民」という記号であり、抹殺しようとするのは「犯罪者」という記号である。 自己喪失に陥った未来社会が、その次に手に入れるのは、市民の安全を守るという大儀の上にたつ全体主義の国家である。「時計じかけの明るい全体主義国家」をキュブリックは確信を持って描いている。

▼ アレックスの社会復帰はマスコミに大きく取り上げられた。政府の洗脳実験の成功は称えられた。これで与党は選挙に勝てる!・・・・しかしその一方で、社会に復帰したアレックスを、個人の報復が待ち構えていた。突然の帰宅に両親は狼狽した。そこにはアレックスと同じ年代の男が下宿しアレックスの部屋を占拠していた。アレックスが入る場所はなかった。
 町を彷徨うアレックスに一人のホームレスが声をかける。その男はかつてアレックスら少年たちが襲ったホームレスだった。男もアレックスを思い出した。仲間のところに連れて行き、今度はホームレスがアレックスを集団暴行する。アレックスは吐き気の中で何も抵抗できない。
 さらに、止めにはいった警官がなんと、かつてアレックスの手下だった男たちだった。彼らが社会に入り警官となっている皮肉、ないようでよくある話だ。ホームレスに続いて、アレックスに苦い思いを持つ警官が暴行を続ける。
▼命からがら逃げ込んだのが、人権派で反政府運動をする小説家の自宅だった。実はここもかつてアレックス一味が押し入り、小説家のいる前で妻を強姦した場所だった。小説家は、その報復と同時に一つの野望を持った。彼は反政府運動をする野党に連絡してその企みを伝え実行に入る。アレックスを部屋に閉じ込め、あの「ベートウベンの第9」を大音響で聴かせたのだ。苦しみ悶えるアレックスは窓を突き破り自殺を図る。
▼アレックス自殺の報をマスコミは大きく取り上げる。そして、こんな非人道的な洗脳実験をした政府与党を激しく攻撃する。野党の陰謀は成功した。これで選挙戦で与党は不利になる。
▼アレックスはかろうじて生きていた。全身ギブスのアレックスは手厚く看護されていた。 ここにもう一つの企みがあった。国民の目をもう一度与党に引き寄せるために、政府与党は次の手を打った。ビフテキを食べさせ今度は洗脳解除のための日々に入る。
▼やがて、病室に、かつて洗脳を指揮した政府与党の大臣が来る。大臣はアレックスに詫びる。アレックスは許す、と同時に大スピーカーが持ち込まれ、「ベートウベンの第9」のエンディングが大きく流される。もうアレックスに吐き気はこない。そして大臣の合図で大勢のマスコミ陣が現れる。無数のシャッターとフラッシュの前で肩を組み笑顔のアレックスと大臣。これでまたマスコミが騒ぎ、選挙戦は再び与党に有利になる・・・・・そしてその時、アレックスの脳裏に浮かんでいたのが、キリストが女性を強姦し、まわりで善良な市民が歓待しているというイメージだった。カオスの中で二つの暴力が結びつき、さらに大きなステージに向かう。欲望と暴力の螺旋状の連鎖がまたはじまる・・・・映画「時計じかけのオレンジ」はここで終わる。

▼ 30年前は難解にしかみえなかった後半のストーリーが、今はきわめて容易に体得できる。そして今がどんな時代なのか、俯瞰することができる。だらだらと、ストーリーを追ってきたが、しばらく「時計じかけのオレンジ」を観ていない人は、ここでもう一度、観ることをお勧めする。
時代がどんどんこの映画にリアリティーを与えている。

                          2003年7月15日
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