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     燃える思い     10月25日     

サルビア/ シソ科アオギリ属。ブラジル生まれの多年草で、熱帯では低木のように大きく育つが、日本では冬が越せないので、一年草として栽培されている。花言葉は、燃える思い。

▼ 大リーグに挑戦した松井秀喜選手の熱い一年が終わった。シーズンが終わってみれば、野球発祥の地ニューヨーク郊外クーパーズタウンの野球殿堂博物館には松井秀喜選手の2本のバットが展示されていた。1本は、4月、本拠地開幕戦で衝撃の満塁ホームランを放ったバット、もう一本は、10月、ワールドシリーズでゲームの流れを大きく変えたホームラン・バットだ。

日頃は冷静な松井選手が異常に高揚した場面をこの一年で二度ほど目撃した。一つは昨年の11月、大リーグ移籍すると発表した会見場の姿だ。
「私はメジャーに挑戦します。決断した以上は命を懸けて頑張ります。」
 その声は上ずり、顔は紅潮していた。まるで少年のように緊張していた。

 ▼ 松井選手は”典型的な日本人”の性格の持ち主のように思う。与えられた仕事を地道
にコツコツとこなしていく。天下のホームラン打者なのになぜか派手さがない。それが実直な日本人サラリーマンと似ている。松井は、地味ではあっても会社のために献身的に働く日本人の象徴に見えた。それだけに、派手さやスタンドプレーが歓迎されるアメリカ社会にこの日本スタイルが評価されるかどうか、一抹の不安があった。

それから4ヶ月後の4月8日、松井は劇的な満塁ホームランでニューヨーク・デビューを飾った。表情を変えず淡々とダイヤモンドを回る姿を見て、不安は吹き飛んだ。松井がヤンキーズを選んだのは、チームの精神がフオア・ザ・チームだったからだという。その精神のとおり、松井は監督のサインを実直に実行した。そしてチャンスを確実にものにして信頼を勝ち得ていった。

▼移籍会見の次に、冷静な松井が興奮する姿を見たのは10月、ワールドシリーズをかけて最終7戦までもつれこんだ宿敵レッドソックスとの試合だった。3点を追う8回裏、松井は右翼線二塁打を放った。これが呼び水になり4連打、松井が同点ホームベースを踏んだ。この時、松井はその喜びを全身で表現し、思いっきジャンプし雄叫びをあげた。それは松井が本当の大リーガーになった瞬間だった。移籍会見で語られた野球少年の夢が実現した瞬間でもあった。そしてその後、松井は燃える思いを秘めて再び淡々と打席に立つ静かな日本人に戻った。司馬遼太郎氏によれば江戸時代、庶民にもっとも尊敬されたのは「忠恕の人」だという。長屋に住む職人のように自分の仕事を誠実にこなす堅実な人、松井の実直さは日本人の象徴であり、それがベースボールの本場、ニューヨークでも受け入れられた。そのことが我がことのようにうれしい。

▼ワールドシリーズで松井は日本人初のホームランを放った。ホームランはカウン
ト0−3でトーリ監督の「打て」のサインから生まれた。それはこの一年で勝ち得た監督への信頼の証だった。監督のサインに松井は忠実に応え、当たり前のようにダイヤモンドを回る。ミスター・オクトーバーの称号を得た姿にはチームリーダーとしての風格さえ感じられた。
殿堂入りした松井の二本のバットは、さり気なく、余り目立たぬ風情で陳列され、そして静かな威厳を放ち続けるだろう。芯の中に決してでしゃばることのない控えめな燃える思いを秘めて…。

        ☆☆☆     ☆☆☆

▼さて、話はがらりと変わるが、燃える思いを花言葉に持つサルビアと聞くと、自然とこのメロディーを口ずさんでいる。

 いつもいつも思ってた サルビアの花を  あなたの部屋の中に 投げ入れたくて
そして君のベッドに サルビアの赤い花敷きつめて 僕は君を死ぬまで 
           抱きしめていようと  なのになのにどうして 他の人のところに                僕の愛の方がステキなのに  泣きながら君のあとを 追いかけて花吹雪舞う道を
教会の鐘の音は なんて嘘っぱちなのさ泣きながら君のあとを 追いかけて
花吹雪舞う道をころげながらころげながら 走り続けたのさ       
                     「サルビアの花」(作詞:相沢靖子/作曲:早川義夫)

歌が生まれたのが昭和47年、当時は歌詞が描く風景を特に気にすることなく歌っていたが、よくよく具体的に描写するとそれはなんともエキゾチックな風景だ。紅いナイフのようなサルビアの花が投げ入れられそれが敷き詰められた風景は狂気に満ちた世界ではないのか。花壇を埋め尽くすサルビアの強烈な赤は圧倒的なエゴイズムに満ちている。鋭利な紅い花々を投げ入れるほどの強烈な片思いを突きつけられると、相手は思わず怖気づいてしまわないか。そうか、だから「サルビアの花」の君の恋は実を結ばなかったのだ。この歌はあまりにも一人よがりな狂気にあふれた心象風景なのだ。


▼ サルビアの強烈な燃える思いには圧倒されっぱなしなのだが、最近、雑草のなかに小さく咲く、か細いサルビアの花一輪を見た。「ああこれくらいが自分には丁度いい。」思わずシャッターを押したその静かな赤が気に入っている。     

                                 

                          2003年10月25日
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