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           ラブレター    11月24日

            モミジ(紅葉)/
モミジは特定の木をさす名称ではないが、一般的にはカエデ科カエデ属の植物をさすことが多い。黄色から濃紅色まで木によって異なる色合いを醸し出すモミジは日本独特である。欧米のモミジはもっと単調、日本の紅葉は世界で最も美しい。
カエデの名は一説に「蛙手」のなまったもので、水かきのついた蛙の前足のような葉の形からつけられたという。カエデの仲間は世界に200種、日本では23種類が自生し園芸品も多い。

花言葉は、遠慮・自制・大切な思い出・秘蔵の宝

▼ 秋の紅葉にラブレターという言葉を添えてみた。若い頃、恥もなく一直線の思いを一人称のフレーズに託した情熱も、いつのまにか体裁や世間体の雲の中でくすんでしまった。ラブレターという言葉をだすことすら気恥ずかしくなってしまった。
先日、義父の三回忌で義母がもらした言葉が心に残っている。「もっと女らしく接してあげればよかった。仲良く手をつないで歩く老夫婦を見ていると、そんなことなにもしなかった、と後悔するわ。」そう言って義父を偲ぶのを、集まった義母の姉や妹は「そんな色気ばっかりだしていたら、毎日の切り盛り、やってられないわよ。」と笑った。微笑ましい風景だったが、せつない義母の気持ちが皆の心に染み入った。これも一葉のラブレターだ。

▼昨夜放送されたNHKスペシャル「松井秀喜 ベースボールの神様に抱かれて 〜作家・伊集院静の見つめた一年〜 」(11月23日放送)は、なかなか見ごたえのある番組だった。

タイトルロゴの後、浜に打ち寄せる波の音と映像から厳かに番組が始まる。やがて静かなナレーションが染みわたる。
[海のそばで生まれ育った少年は、いつか自分が、その海に船をこぎだし、旅立つことを夢見ることがあるそうだ。
松井秀喜選手は、野球の練習が終わった夕暮れ、一人でこの海を見つめるのが好きだったと、私に話してくれた。]

4年前、松井自らの希望で対談相手となった伊集院静は「僕は中学2年の時から人の悪口は言ったことがありません。」と言いきる松井の澄んだ表情に驚く。「まだこんな若者が日本にいるのだ…」。 以来、伊集院は松井の成長を見つめ続ける。
▼巨人軍4番という最高の栄誉を捨てて松井は大リーグを選んだ。何が松井を駆り立てているのか?昨年の11月、大リーグ行きを表明した松井は会見で 「決断した以上は命を懸けてがんばります。」と語る。その時、伊集院は「今の世の中に、私たち大人を含めて命を懸ける価値のあるものを見出している人が一体何人いるだろうか。」と問いかける。これは今の日本人への痛烈な質問状である。すべてをほどほどに言われたことをこなすだけで内向きの日々を空費した自分への痛快な批判となって突き刺さる。

松井は、満塁ホームランという鮮烈なNYデビューの後、極端な不振に陥る。この時、伊集院は、不振の時にもなんとかチームの勝利に貢献しようとする松井の決意を感じ取る。同じ眼差しをトーリ監督も持っていた。トーリは不振の松井を先発で使い続けた。トーリがインタビューで語った「松井は”誇り高い若者”だ。きっと立ち直る。」という言葉を伊集院は掬い取る。松井の打順を7番に下げることを決意した試合の前、トーリは松井を呼びこう話した。「打撃不振でも君はチームのために充分働いている。私は君を先発からはずすつもりはない。君はチームに必要だ。」不振であっても守備や走塁でチームのために懸命に働く松井をプロの目は見逃さなかった。17年間、ヤンキーズを取材し続けて記者はいう。「目立たないことをしっかりとやることが、スターであることよりもj重要なのです。」
  トーリから言葉をもらったこの試合、松井は119打席ぶりのホームランを放ち、長い不振を脱した。

 松井にいち早く注目したニューヨーカーは子供たちだった。いつも笑顔を絶やさない松井を子供たちは自然に受け入れた。伊集院は松井フアンの子供たちに共通点を見る。おとなしくシャイな子供が多い。繊細な子供たちが松井のやさしさのようなものを感じ取っているのかもしれない、と伊集院は分析する。10人のベトナム人の里親になり密かに心臓移植の子供への援助をし、ニューヨークに着いてすぐに寒風吹きすさぶグランドゼロに立ち「一番きらいなものは戦争です。」と言い切った松井は「慎み深さを兼ね備えたスター」として受け入れられていく。

▼圧巻はリーグ優勝を懸けたレッドソックスとの因縁の最終決戦。自ら二塁打を放ち、同点のホームベースを踏んだ松井は、初めて雄叫びにも似た表情で高く飛び上がり歓喜した。その一瞬を「このすばらしい跳躍を目にした時、ベースボールの神様が松井を抱きかかえている・・・」と伊集院は見た。その清らかな視線が胸に迫る。

 ▼番組のエンディングは再び、バットを持った少年時代の松井の写真に戻る。静かにナレーションがしみこむ。
 「少年は、家の近くの原っぱで初めてバットをにぎったとき、ベースボールの偉大な力を持つ人の、優しい手に触れたのかもしれない。そして少年は、ベースボールの力を信じ、毎日、ひたすら白球を追い続け、少しずつ成長をしていった。
 2003年、松井秀喜選手は、確かに、ベースボールの神様に抱かれた。」


▼この番組は作家・伊集院静の松井への、そして未来へ向う少年たちへの熱く清らかなラブレターだと思う。ラブレターは、人が命を懸ける価値のあるものは”誇りと勇気”であることを深く静かに教えてくれる。

▼ 余談だが、伊集院静は、わが郷土出身の作家である。CMディレクターとしての業績、作家に転進してからの心に染み入る作品の数々、人に対する暖かく繊細な眼差し、そんな清い目線で仕事をする人物と同じ故郷を持つことは大きな誇りでもあるし、一方的な自信にもなってきた。

▼ しかし、それ以上に、自分にとっての伊集院静は高校の同級生Nの兄として意味づけられている。サッカー部の鬼才、そして理科系クラスの秀才だったNは皆に愛されていた。しかし、高校二年の夏、Nは町はずれの富海という海にボートを漕ぎ出し、亡くなった。
 「松井秀喜 ベースボールの神様に抱かれて」の冒頭のナレーション「海のそばで生まれ育った少年は、いつか自分が、その海に船をこぎだし、旅立つことを夢見ることがあるそうだ。・・・・・」を聞いて、ふと海に消えたNのことを思った。

▼この番組は伊集院静の松井秀喜選手へのラブレターでもあり、故郷の海に消えた弟の未来へのラブレターであり、そして故郷を離れ旅する自分へのラブレターなのだ、と番組の余韻に浸りながら、考えていた。

 ※番組を見逃した方はテープあります。郵送します。ご連絡ください。

                          2003年11月24日
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