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    無骨なストライカー     12月4日

▼今年の秋は、いつもに比べて迫力がなく、終わろうとしている。紅葉への変化もなんとなく煮え切らない。いつもの晩秋のように、はっとする散り際の潔さも目につかない。こちらの感受性が鈍ったというより、やはり今年の不順な気候の顕れの一つだと思う。
▼そんな中、歩道橋からふと見下ろした公園の一角、黄色い落ち葉が降り積もる芝の中に、カエデの小さな木が鮮やかにその赤を際立たせているのを見つけた。いままで目立たなかった小さな枝木が一瞬、その存在を誇示し、なんの変哲もなかった周りの風景までもが耀きはじめる。


横浜マリノスのストライカー久保竜彦(27)の姿を見るとすぐに故郷の中学校のグランドを思い出す。泥まみれになってボールを追いかけていた日々。田舎のサッカー少年たちはただひたすら空いたスペースに突進した。がむしゃらだけで走った。それ以外に何の策もなかった。もちろん皆、丸坊主だった。あのグランドの仲間たちはどこにいったのか?
▼5年前、広島に住んでいた。その時、広島スタジアムという小さなグランドを駆け抜けるサンフレッチェ広島のFW久保を知った。その無骨な風貌を見てすぐになつかしさを感じた。地元のテレビ局は試合後、久保へのインタビューに四苦八苦する。なにも答えてくれないからだ。ニュースで「サンフレッチェの選手たちの話し方教室」という企画があったのには笑ってしまった。その中でも久保は何も話してくれなかった。そういう無骨な連中は故郷のグランドには山ほどいた。昨今のサッカー選手のようにしなやかで蝶のような奴は一人もいなかった。スマートな代表選手のなかにポツンといる丸坊主で無精ひげの久保をみるとホッとする。

広島から横浜に移り住んだ久保から、今、大きなオーラが放たれている。Jリーグ最終節でロスタイム、奇跡逆転ゴールを決めチームを優勝に導いた後の日本代表復帰。12月4日の東アジア選手権、対中国戦で久保は空いたスペースに向かって大きなストライドで加速し一気に2ゴールをゲットした。A代表15試合目での待望のゴールだった。
「彼は13世紀生まれで冷凍保存されている。」とトルシエ元日本代表監督は大きな可能性を秘めながら寡黙で煮え切らない久保をこう形容した。その久保が横浜に移って何か大きなものをつかんだように輝いている。「自分にはこれしかない。」とでも悟ったように無骨ではあるが野生に満ちた加速力で空いたスペースに突進しドリブルで相手にぶつかり一直線に突破しようとする。ジーコ監督はこの姿を「生まれながらのストライカーだ。」と絶賛した。
無骨なストライカー久保が日本代表の救世主となって躍り出た。そのスタイルが、あの故郷のグランドで暗くなるまで真っ黒になってがむしゃらにボールを追いかけていた口下手な芋っ子たちと同じなのが実に爽快だ。

                          2003年12月4日
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