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        伝えあう        11月13日










▼なんの変哲もない、つまらない写真を載せているナ、と思われるかもしれない。けれど、小石川植物園の一角に聳え立つ樹齢290年のそのイチョウの樹は由緒ある樹なのだ。今年、ようやく紅葉の時期にこの樹の下に来ることが出来た。遠くから先ず一枚、そして徐々に近付きながらシャッターを押した。最後に樹の真下に立ち見上げ、その威厳の中に包まれた。
▼1896年(明治29年)、日清戦争は終わったものの世界が列強の利権の中で戦火にまみれようとしていた頃、帝国大学理科大学(東京大学理学部)の植物学教室で、イチョウの胚を薄い切片に切り辛抱強く顕微鏡を覗く男がいた。平瀬作五郎助手である。1月のある日、胚の切片の中に虫のようなものを平瀬は発見する。
何だろうか?寄生虫か?」平瀬は助教授の池野成一郎に相談する。池野は「これは精子だ」と直感した。「種子植物にも精子があるというとなると、これは大変な発見だ!」 事実、それから9ヵ月後の9月9日、平瀬はついに泳ぐ精子の姿を発見し撮影した。植物学の世界に日本人が躍り出た瞬間だった。
▼イチョウには「雄の樹」と「雌の樹」がある。春、「雄の樹」は花粉を飛ばす。花粉が「雌の樹」にたどり着き若い銀杏(ギンナン)の内部に取りこまれるとそれがスイッチとなって卵が作られ始める。そして4ヵ月後、成長したギンナンの内部で卵は成熟する。それと同時に花粉は花粉管を伸ばし、その中に精子を作る。そして花粉管の中に精子が卵まで泳ぐ「海」を用意する。この「海」を泳いで精子は卵と受精する。・・・平瀬作五郎が目撃した、イチョウの雄と雌の出会いの物語はなんともいえぬメルヘンとロマンに溢れている。

▼6月に紹介した「マリナ〜アフガン 〜少女の悲しみを撮る〜 」というドキュメンタリーの反響は大きい。ぜひテープを貸してほしい、という便りが相次いでいる。インターネットに乗せて「マリナ」の感動が時空を越えて飛び交う様は、春の空に舞う花粉が運ぶ新たな物語を思い起こさせ愉快になる。あらたな「伝える術」で見知らぬ人々と結びついている、という感慨がある。昨日、京都で教師をしている松枝誠さんから便りがきた。掲載する。 

誠文堂さん、ありがとうございました。『マリナ』のテープは今日届きました。早速見せていただきましたが、内容は思っていた以上にすばらしい内容でした。
 感想を以下に書きます。
             ☆☆☆ ☆☆☆
 アフガニスタンという激動の国の「痛み」をすべて背負わなければならないような位置に立たされてしまった13歳の少女の悲しみが、彼女のするどい目から私に伝わってきた。マリナの記憶こそが彼女の「悲しみ」であり「痛み」であるのだが、それはやはり「記憶」であるがゆえに我々には伝えられないものである。もちろん、空間的にも遠く離れた場所ゆえに我々の普段の想像力は、彼女の「痛み」を知ることには程遠い状況にある。
 しかし、彼女のまなざしにはそれを超えるものがある。彼女のするどい、悲しみに満ちた目は、我々を貫き、彼女の(アフガニスタンの)「痛み」をほんの少しであろうが伝えるものがある。
 それは、我々が日々目を背け続けているものでもあるのだろう。目を背け、見返されることを恐れているものであるのだ。
 それゆえ、私は彼女の目を見るたびに目を背けたくなった。しかし、そこにこそアフガニスタン出身の監督の意図がある。彼女の悲しみをハッピーエンドで終わらせるのではなく、現在まで続いているものとして世界にアピールしつづけること。彼女の「痛み」を開示し続けること。私はこの「痛み」に目を背けてはならないのだ。
             ☆☆☆ ☆☆☆

 生徒にはよく書かせるわりに、私はこういった文章には慣れていないために長々と変な感想を書いてしまいました。
 テープは、明日学校でダビングをしてご返送します。ビデオは授業で見せようと思いますが、日程の都合もあり、すぐには感想をお送りすることはできません。ですが、必ずお送りします。
 突然のメールでご迷惑をお掛けしました。今後ともよろしくお願いします。
 それでは失礼します。 」


▼ 再び、小石川植物園。正門をくぐってすぐ、左手にソテツの樹がある。平瀬作五郎が園内のイチョウの樹から精子を発見した直後、池野成一郎はこのソテツの樹から精子を発見した。これも世界初めての偉業である。池野は平瀬から相談を受けた助教授であった。弟子からの相談を受けた師はさらに情熱をかきたてられ確信を持って顕微鏡に向ったのだろう。二人の植物学者の間を飛び交ったオーラが目に浮かぶ。伝え合う心が新たなステージに生命を押し上げていくのだ。

ソテツ(蘇鉄)/ソテツ科ソテツ属。ソテツの幹に鉄釘などを打ち込むと元気になることから鉄で蘇る→蘇鉄となった。漢名は「鉄樹」。九州南部と沖縄にかけて自生する。果実や幹に大量のデンプンが含まれることから奄美諸島では飢饉の時の大切な食糧となった。花言葉は 雄々しい。


                          2003年11月13日
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