'We got him'      12月14日

ハナミズキ (花水木)/ 別名アメリカヤマボウシ。高さ4〜5mになる落葉小高木。枝は横に広がり短く分枝し階段状の樹形となる。原産地は北米東部、メキシコ北東部。明治45年に尾崎行雄東京市長がアメリカに桜を寄贈した謝礼として日本に送られた。木の皮を煎じた汁が犬のノミ退治に効があるといわれドッグ・ウッドとも呼ばれている。果実はやや苦味があり果実酒にいい。花言葉は、私の想いを受けてください・返礼

▼好きな花水木。晩秋、紅葉の中の
可憐な紅い実。厳しい冬、紅い葉が逝った後、実だけが取り残され木枯らしの中で震えている愛しい姿。そして、春、桜の宴が去った後、公園を鮮やかに染める華麗な舞。この一年撮り溜めた写真を眺めながら休日の夜を過ごしていた。
▼横ではサッカー好きの妻子がトヨタ・カップの激戦に興奮している。欧州のクラブ王者とアメリカ大陸の王者を日本招き、世界一を競わせる。世界中の目が横浜国際スタジアムに向けられる。20年前、この企画を思いついた日本人は誰だろう。なんとすばらしい発想だろう。企業の国際貢献のお手本である。

▼自衛隊が向うイラクのサマワの人々の7割が失業中だという。現地に日本のゼネコンが行き、現地の人々を雇い上げ道路工事、水道工事、学校建設、病院補修・・・を次々にはじめたらどんなに人々は喜ぶだろうか・・・・でも、こうしたスピーディな復興はアメリカが許してくれないのだろう。企業が絡んだ瞬間に、各国の利害関係が噴出すに違いない。アメリカはその主導権をとりたい、と躍起になるだろう。日本企業が現地の人々を雇い勝手に公共工事を始めるなど許されないのだろう。この石油の王国、イラクに群がる様々な利権の思惑が、この国の民衆の復興をどんどん遅らせていく。
▼復興支援隊をつくる。そのメンバーとして、左官職人、タイル職人、フオークリフトの達人、水道工事・・・・様々な分野のプロを全国から志願者として集める。バブル後の政治の失敗で切り捨てられたモノづくりの職人たちを再生させるためにイラク復興という舞台を用意するのだ。もちろん彼らには破格の給料を出す。当然、迷彩服は捨て、たとえば地下足袋を履いた現場スタイルだ・・・彼らの指導のもとに現地の人々があっと驚く勢いで次々と街を建て直す。こんなことができたら日本人はいっぺんに誇りと元気を取り戻すだろうに。

▼激戦のトヨタ・カップを伝えるテレビ画面にニュース速報が流れた。「フセイン元大統領が拘束された」、ビッグ・ニュースだった。ハーフタイム、家族の許しを受けてチャンネルを変えると、ニュースは拡大枠になっていた。ACミランとボカ・ジュニアーズの試合は延長戦に突入しさらにPK戦にもつれ込んだ。その時、バグダッドでは、ブレマー連合国暫定当局(CPA)らが緊急会見を開いていた。
会見場には大型テレビモニターが用意されていた。会見が始まった。その開口一番ブレマーが言った「,'We got him' 彼を捕まえた!」
 会見場に喚声が沸き起こった。
▼イラク駐留米軍のサンチェス司令官がフセイン拘束作戦について語り始める。
 13日午前中、フセインが生まれ故郷のティークリート南15キロにあるアッドウル村近辺に潜伏しているという内通者の通報が入った。
▼「レッド・ドーン」(赤い夜明け)という作戦名で、ティクリート周辺を管轄する米陸軍第4歩兵師団や特殊部隊など約600人が拘束作戦に加わった。潜伏先の可能性がある地点2カ所を、暗号名「ウルバリン(イタチ科大型肉食獣)第1、第2」と名付け、捜索を開始した。
▼農家周辺にあった粗末なトタンぶきの泥小屋の下に、れんがや泥土で入り口を隠しながら、人が潜伏できるように通気口を設けた深さ6〜8フィート(約1・8〜2・4メートル)の穴があった。現地時間の13日午後8時半(日本時間14日午前2時半)ごろ踏み込んだ米兵が、その穴の底にいたフセイン元大統領を発見した。時あたかも日本時間の12月14日。赤穂浪士が吉良上野介を発見した時のシーンがふと頭をよぎる。

▼拘束された直後のフセインの映像が記者会見場に流された。再び喚声が上がった。イラクのジャーナリストがコブシを振り上げて「フセインに死を!」と絶叫をはじめた。
▼バグダッドでのこの記者会見は周到にそして見事に構成されていた。会見の向こうに意識しているのはイラク国民であることは明瞭だった。ブレマー行政官は高揚した口調で、シーア派もスンニ派もキリスト教徒もそれぞれの立場を乗り越えて民主的で新しいイラクを創ろうと訴えた。ブレマー行政官の声明の全文を掲載する。
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 みなさん、我々は彼(フセイン元大統領)を捕まえた。サダム・フセインは12月13日土曜日の現地(イラク)時間20時30分にティクリートの南15キロの町アッドールの地下の穴倉で拘束された。

 イラク統治評議会のパチャチ議長代理とサンチェス中将(駐留米軍司令官)が話す前に、イラク国民に少し語りたい。

 今日はイラクの歴史において偉大な日である。何十年もの間、何十万人ものあなたがた国民が残忍な男の下で苦しんできた。何十年もの間、サダム・フセインはあなたがた市民を分断し、敵対させてきた。何十年もの間、彼はあなたがたの近辺への攻撃で脅してきた。こうした日々は永久に終わりを告げた。

 未来、あなたがたの希望の未来、和解の未来を見つめるときが訪れたのです。

 イラクの未来、あなた方の未来はかってなく希望に満ちたものです。独裁者は一囚人となったのです。

 経済は発展に向かいます。あなた方の前には、数カ月のうちに主権国家を持つという見通しが広がっています。サダム・フセインの拘束により、旧政権のメンバーには苦い敵対を終わらせる新たな機会が訪れたのです。 彼らには、和解と希望の精神で前に進み出て、武器を置き、新たなイラクを建設するという任務に向け、あなたがた仲間の市民に加わってもらいましょう。

 今こそ、アラブ人、クルド人、スンニ派、シーア派、キリスト教徒、トルクメンら全てのイラク国民が平和に、隣人とともに、繁栄し民主的なイラクを建設するときなのです。

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▼続いて演壇に立ったのは米国などの占領下で一定の行政権限を担うイラク人組織「イラク統治評議、会」のパチャチ議長代行(元外相)だった。バチャチ議長も、イラクの人々による民主的な国家の設立に結集するよう訴え、サダム・フセイン元大統領拘束が確認された同日を「国民の休日」として祝うよう、同評議会に要請することを明らかにした。彼らの言葉に、このフセイン拘束を大きな踏み台にして、治安悪化に歯止めをかけたいという切実な思いを感じた。

▼会見場の外では高揚した市民が空に向って祝砲をあげそれがやむことはない。その映像を見ていると、こちらは少しづつ冷静さを取り戻す。これでイラクは本当の主権国家の道を歩みはじめることになるのか?米軍や連合軍は今回の手柄に今後どういう意味を持たせるのか?利権争いが既得権にしていくことはないのか?その象徴が、今後、フセインをどういう形で裁いていくか、という問題だが、ほんとうにイラク人による裁判が行われるのか?アメリカはどういうスタンスをとるのか?国際司法裁判所はどうでるのか?うまくいけば、このフセイン裁判があらたな国際協調の仕組みを打ち出すことにならないか?28年間、イラク国民の上にのさばってきた独裁者が国際社会の法の下で裁かれていく様を民衆が見せ付けられた時、事態は大きく前進する可能性がある。しかし、アメリカが密室で裁判を始めた時、全く逆の事態になる。そう考えれば、フセイン拘束はアメリカにとってのひとつの踏み絵にもなる。

▼目の前に並べられた、この一年の花水木の変転。次々と疑問符を投げかけながら、すべてがめまぐるしく変転し忘れられていく。

                          2003年12月14日
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