平成天皇の覚悟(2)  12月24日

▼ なぜ、平成天皇のことがますます気になってきたのか、そこには今年,,天皇が「前立腺がん」という疾病への真摯な受け入れ方を見たことも影響あると思う。今年の誕生日会見でも天皇は自らのその後の病状を冷静に語った。
「検査入院をする前からPSAの値などで心配な状況と聞いていましたので,検査の結果前立腺にがんがあったという報告を聞き,すぐに手術のことを考えなければならないと思いました。

 入院中は,手術を含め,北村教授始め関係者から手厚い医療と看護を受け,深く感謝しています。入院中皇后が毎日付き添ってくれ,紀宮もしばしば来てくれたことは,精神的にまた実際に入院生活の非常な支えと助けになりました。また入院中,多くの人々が皇居などを訪れ,記帳してくれましたが,心配してくれた気持ちがうれしく,記帳簿を見ることは大きな励ましになりました。

 手術の結果は,かなりの程度確実にがんは取り切ることができたと思う,ということで,公務に復帰したころは,PSAの値も下降しており,回復のために明るい気持ちで散歩に励んでいました。しかし,その後にPSAの値が微増してきました。今後のことは,皇室医務主管始め専門家の判断を仰ぐこととしています。

 現在は公務も多く,忙しい日々を過ごしていて,病気のことを考えることはほとんどありません。公務をしっかり果たしていくことが,病気に当たって心を寄せられた多くの人々にこたえる道であると思っています。

 国民への公表については,日程の変更や治療を国民の理解の下にすることが大切と考えているからです。」

 ▼ 自らのがんを直ちに公表し冷静に病と向き合う姿は同じように生死と向き合う人々をどんなに勇気付けたかと思う。自分もあのように毅然と告知を受け入れ闘い決意しようとした人も多いだろう。昨日の会見でも天皇は、がん細胞の数値が最近上がっていることを率直に公表した。その冷静さは科学者らしい、という人もいるが、むしろ象徴天皇として国民のための利他的な存在として自分を位置づけようという気負いを感じる。

  憲法第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位           は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

▼ 象徴天皇というシステムを、米国も日本政府も巧みに活用してきた。ミッチーブームの興奮の中、民間から皇室に嫁いだ美智子さんは日本民主化完成の象徴であった。二人は忙しく各地を行幸した。さらに貿易摩擦で日米関係の雲行きが悪くなると、すぐにアメリカに飛んだ。その過酷なスケジュールのストレス中で皇太子妃は声が出なくなった。二人は健康的で幸せな象徴的な文化的家族像を築き上げるために懸命に働いた。
▼ 高度成長を終え国民の共通の目標が消えた。そしていじめや家庭崩壊がニュースを賑わすようになる。こうした今だからこそ、健康で文化的で明るい家族の象徴を示さなければならなかった。国民の象徴と言う存在が今ほど大切なことはない、天皇自身もそう感じ取っている。がんの告知を受け入れ毅然と自分の運命と向き合う、これも国民に範を見せる象徴的な役割を演じているのだ。象徴を演じ続ける二人の男女に強く引かれるようになった。

▼今年の会見で70年の人生を振り返った後、天皇は一言こう付け加えた。
 「私自身にとり,深い喜びをもたらしてくれたものは,皇后との結婚でした。どのようなときにも私の立場と務めを大切にし,優しく寄り添ってきてくれたことは心の安らぐことであり,感謝しています。二人の結婚生活ももう45年になりますが,その間に子供たちも成長し,私どもも公務を果たしつつ変わりなく日々を送れることをうれしく思っています」
 

 がんと向き合う憂鬱な日々、夫はおそらく妻にその苦しみを吐露し妻はそれを受け入れ共に苦悩しているのだろう。また、この50年近く、二人で憲法の定める「象徴」としての役割を演じてきた同士としての強い絆も生まれているのだろう。最後に遠慮深くつけ加えられた夫としての私的な言葉に深い感慨がこめられている。
▼「象徴」の役割を献身的につとめる天皇皇后夫妻は、いま最も深く平和憲法の意味を理解しそれを遵守しようと生き抜いている日本人ではないだろうか。
 巷では自衛隊のイラク派遣のニュースが連日報じられている。天皇誕生日の会見はニュースや新聞では大きく取り上げられない。憲法改正の声も高くなっている最近の動きを天皇はどう受け止めているのだろうか。

                          2003年12月24日