Body and  Soul   12月31日


▼大晦日、年賀状を出しに郵便局へ行ったついでに薄曇の光が丘公園を歩く。しばらくご無沙汰しているうちに当然ながら公園はすっかり冬景色になっていた。ひっそりとした裸樹の間を歩いた。発見に胸ときめかす訳でもなく、目の前に現れる草木にカメラを向けた。
▼最近、どんどん植物写真にのめりこんでゆく夫を見て、妻は「花鳥風月の順で老け込んでゆくらしいわよ。次は鳥ね。」と笑う。その通りかもしれない、なぜこんなにはまってしまったのだろうか、わからない。人に誇れる趣味などまったくない退屈な男である。この奇妙な趣味の始まりも単なる気まぐれからでしかない。ただ、没頭するものがほしかった。

▼9・11以後、世界は、この国は、すっかり変わってしまった。そして今年、奇妙な楽観主義が渦巻くカオスの中で世界はイラク戦争という厄介な未来を抱え込み、日本は微笑みと共にこの戦争の同盟国となった。日本は一気に戦後という堰を越えて再び戦前へと舵を切った。 アメリカの掲げる「自由の帝国」というキャッチフレーズとともに。

▼「できることならば時間を9・11前にもどしてほしい」 
9月、NHKが放映したNHKスペシャル私を変えた9・11の中に出た、あるアメリカ市民の呟きである。その切実で厳粛な市民の思いも、その後も続く政治家たちの乱暴な言葉の前で弾き飛ばされてしまいそうだ。もう後戻りはできない。          


▼ ブッシュが9・11直後に宣言したように、世界は見えない敵との    新たな戦争に強引に突入してしまった。そのブッシュもイラクでの米兵殺害が相次ぐ中で一時期は支持率を落したが、あのフセイン拘束以後、再び人気を取り戻し、来年の大統領選挙では、再選される勢いだという。

▼自衛隊がイラクに派遣される。半年前、政府に近いところで働く友人に、「自衛隊派兵」という言葉を使うと彼はそれを制してこう言ったものだ。「相変わらず乱暴だなあ。派兵ではないよ。あくまでも復興支援なんだから。」 その彼から最近でるのは、ブッシュが言った見えない敵との戦いという言葉で、そのためには武力行使も辞さないのだ、という覚悟の弁だ。言葉が次々と便利に使い捨てられ死語になってゆく。

▼イラク戦争の渦中で、混乱した頭を覚ましてくれたのが、目の上の樹々であり、足元の名もない草花の輝きだった。ふと見ると、一条の光を一身に浴びて耀くあざやかな草花があった。生きているものはすべて変化する。この一瞬の耀きを残せるのは今自分がシャッターを押す所作しかないのだと思った。名もなき一瞬の草花たちの姿を留めることと、その時、思っていたことを稚拙であっても書き留めていくことは、同じことのように見える。全ては変化し、その変化の中で写しつづけ書き続けることが、ささやかであっても自分が生きている、という証だと思える。「あまりに無防備に個人情報をさらすのは危険ですよ。」優しい後輩がアドバイスしてくれる。しかし、管理職になり、目の前を過ぎてゆく事柄へのもどかしさをバネにして表現する文房具が今の自分の目の前にない。だから、「ただ今」の自分を記録するうえでこのキャンバスがどうしても必要だと思ってしまう。いつまでたっても青臭く稚拙だがこうして公の場に、きわめてプライベートな自分をさらすことが大きな糧になるような気持ちがする。一年たった今、この奇妙な趣味を続けてよかったと思う。そして来年も続けていこうと思う。
▼過ぎ去った秋の流れに取り残されたように、冬樹を背景に紅く映える葉群のスポット。
「お前たちは何故おくれてきたのか」
彼らには彼らなりの訳があり、理にかなった時間の連鎖があり、この一瞬の光景にたどり着いたに違いない。
そして、それは次の瞬間、目の前の視野から消え去ってしまうかもしれないのだ。それが口惜しいから思わずシャッターを押す。どんより曇り、寒々とした裸の公園の中にも、目を凝らせば言い尽くせぬ味わいがあるのだ。▼遠くから寄せるトランペットの音色が静かに枯木を包んだ。    「Body and Soul]・・・。

ゆっくりと近付き枯れ木を背景に望遠レンズでシャッターを切った。
 今年最後の写真には久しぶりに人の姿が入った。 

                          2003年12月31日