元旦に花を咲かせる目論見 1月1日
フクジュソウ(福寿草)/キンポウゲ科フクジュソウ。雪の中から咲く花。旧暦の正月頃に咲き始め、貝原益軒は福寿草とともに元日草と呼んだ。長寿草ともいう。岩手や青森ではマンサグとかツチマンサクと呼ぶ。「土からまず咲く」の意。昨年の暮れ、ドンキホーテの店頭で正月に咲きそうなものを選んだのだが元旦の今日は右の写真の通り残念ながら満開にまではいかなかった。このような鉢植えは正月に咲かせるため秋に掘り起こした促成栽培である。
下の写真は昨年の二月、練馬の農家の畑で発見して撮影した。
「こんなところに福寿草が・・・」とあわててシャッターを押した。盃のような花弁がいっぱいに陽を浴びている姿はまぶしく鮮やかだったが、出来上がった写真は単なる黄色い塊に過ぎなかった。花弁が集めた光が強すぎたのだ。不満足な写真だが元旦ということでご勘弁願って、良い写真が撮れたらまた後日紹介したい。
福寿草の花言葉は、永久の幸福・回想・思い出・幸福を招く(日本)・祝福、悲しき思い出(西洋)
▼各地から届いた年賀状を眺めながら元旦の朝を過ごす。印刷技術が進み、紙面は年々ビジュアルになるが、やはり一番気になるのが印刷文字や写真の横にそっと添えられた手書きの一言だ。
▼私が最も尊敬する先輩Oさんからの年賀状にこんな一言が添えられていた。
「メチャクチャな政治言語で文化の根底が壊れていく気がします。悪は善、黒は白、非は是。」
▼Oさんはテレビ創成期、斬新な発想で次々とドキュメンタリーを開発してきた先駆者である。その作品は常に冒険にあふれ挑戦的であったが、会って話を聞くとOさんには気負いはなく、ごく普通に考えそれを素直に映像に残していく、という自然体の人であった。その風情を見ていると、ドキュメンタリーというと何か大変なものを作らなければならないという気になり肩に力が入ってしまう、自分の弱点が透かし絵のようにはっきり見えた。本物をとらえるためには小手先の技など必要ないのだ。斬新な演出は結果として生まれるものなのだ・・・・。
▼定年後、0先輩は家に入り、親の介護に専念しながら、日本の百名山を制覇することを目標にしていると聞く。
「メチャクチャな政治言語で文化の根底が壊れていく気がします。悪は善、黒は白、非は是。」
年賀状に添えられたこの言葉が身に染みた。この国の今を端的にとらえた言葉だと思う。 その場限りの実相のない言葉の細工だけで、なし崩し的に事態を潜り抜けようとしているとしか見えないリーダー達からは、自ら責任を取るという覚悟が読み取れない。覚悟のないところにはリアリテイがない。リーダーは充分、国民に話しているはずだと思っているが、国民は何も説明を受けていない、として納得しない。乱暴に投げられる言葉に実相がないからだ。
▼昼前、臨時ニュースが流れた。「小泉首相が突然靖国神社を訪問した」という。今年も早々から奇策が始まった。これで遺族会を後ろ盾にし自衛隊のイラク派遣に異を唱えていた古参の議員達は黙るのだろうか。「初詣という慣例が日本にはあるだろ。」とかわす首相のフレーズがニュースに流れる。年末の休日、映画「ラスト・サムライ」を観て、いたく感激した首相は、一人だけのホテルの部屋でこの企画を思い立ったのだろうか。孤独な首相の奇策に、もはや「そんなことはやめたほうがいいですよ。」と進言する者もいないのだろうか。むしろ、首相の暴走をいいことに、それにあとづけの理由を与え重要案件を次々に「先送り」する官僚的な知恵が増長していくように見える。
▼この3年間、靖国神社の問題について,国立追悼施設の具体化などについてどれだけ真剣に議論がなされたのだろうか。元旦早々、首相が勝手に参拝をすませたことをいいことに、また先延ばしされるのではないか?関係者は真剣にやっているのに何を言うのか、と反論があるがろう。ならばそれを堰止めて首相は直接国民にじっくりと経過を説明してほしかった。首相の口から真摯な言葉をしっかりと聞きとりたかった。年々繰り返される奇策は、六カ国協議という場を得て結束しようとしている北東アジアの人々にどんな影響を与えていくのだろうか。
▼あの日中戦争前夜、日本は中国国内でおこった民族主義の高まりを軽視し、自分を欧米列強の一員と位置づけ彼らと同じ行動原理で動き植民地主義に走っても許されると思った。アジアの民衆への想像力の欠如が、日本の孤立を招いた。
▼やみくもに靖国神社参拝をやめろ、といわない。事前に誠意ある説明もないままに物事を滑らせて、後でどうにでも説明きるできるという過信が人々を迷路へと導いてゆくのだ。「悪は善、黒は白、非は是。」 あとからはどんな屁理屈でも考えられる。そこにはなんの実相もいない。まさしく「「メチャクチャな政治言語で文化の根底が壊れていく」 ▼永久の幸福を花言葉に持つ福寿草。元旦に咲かせてみようと促成栽培に走ったが花は咲かなかった。それでよかった。やっつけで花を咲かせようなどと思わないことだ。
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