ラスト サムライ(1) 2004年1月6日

               

スイセン(水仙) / ヒガンバナ科スイセン(ナルシッサス)属。室町時代の国語辞典「下学集」には漢名:水仙、和名:雪中華 とある。中国の文献に「仙人の天にあるを天仙、地にあるを地仙、水にあるを水仙という」と述べたものある。ギリシャ神にナルシスという美少年が水中に散った化身がこの花だという話がある。ナルシストという言葉はここからでた。
花言葉は白い水仙: 自己愛。黄色い水仙:気高さ。感じやすい心、もう一度愛してください、私の愛にこたえて、私のもとへ帰って・・・・


▼映画「ラストサムライ」を見た。日本人の個性が敬意を持って的確に伝えられた初めてのハリウッド映画ではないだろうか。巨額を投じて作られた明治初期の日本の港町や農村の風景、人々の衣装もこれまでの映画とちがい奇異に思えるところはほとんどなかった。さらに、物語の設定に無理がない。廃刀令が出た直後、横浜と思われる港町の雑踏の中で複数の警官に銃を突きつけられ、刀を没収され髷を斬られる侍の姿をクローズアップする点描に深く感銘する。それほどまでに映画の冒頭から積み上げられていく一つ一つのシーンに筋の通ったにメッセージが込められていた。どの国でも新しい時代に突入する時、人は古い時代のことを全て忘れ去り前へ突き進んで行こうとする。その時にこそ、古き時代の誇りと伝統をしっかりと抱きしめていたい、そう謳われ続けるシーンの一つ一つが身に染みた。


▼明治維新直後、日本は列強に追いつくために徹底した欧化主義をとった。 皆が一丸となって先進国を目指した。その離陸の渦中に、西郷隆盛が取り残された武士たちの心を凝集して西南戦争を起こし崩れ去った。その直後、福沢諭吉が「丁丑(ていちゅう)公論」という文を書いた。(丁丑=1877年、明治10年)        

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  凡そ人として我が思ふ所を施行せんと欲せざる者なし。即ち專制の精神なり。故に專制は今の人類の性と云ふも可なり。人にして然り。政府にして然らざるを得ず。政府の專制は咎む可らざるなり。

 政府の專制、咎む可らずと雖も、之を放頓すれば際限あることなし。又、これを妨がざる可らず。今、これを防ぐの術は、唯これに抵抗するの一法あるのみ。世界に專制の行はるる間は、之に對するに抵抗の精神を要す。其趣は天地の間に火のあらん限りは水の入用なるが如し。

 近來、日本の景況を察するに、文明の虚説に欺かれて、抵抗の精神は次第に衰頽するが如し。苟も憂國の士は之を救ふの術を求めざる可らず。抵抗の法、一樣ならず、或は文を以てし、或は武を以てし、又、或は金を以てする者あり。今、西郷氏は政府に抗するに武力を用ひたる者にて、餘輩の考とは少しく趣を殊にする所あれども、結局、其精神に至ては間然すべきものなし。

 然るに、斯る無氣無力なる世の中に於ては、士民共に政府の勢力に屏息して事の實を云はず、世上に流傳するものは悉皆諂諛妄誕のみにして、嘗て之を咎むる者もなく、之を一世に傳へ、又これを後の一世に傳へ、百年の後には、遂に事の眞相を湮没して又踪跡す可らざるに至るや必せり。餘は西郷氏に一面識の交もなく、又、其人を庇護せんと欲するにも非ずと雖も、特に數日の労を費して一冊子を記し、之を公論と名けたるは、人の爲に私するに非ず、一國の公平を保護せんが爲なり。方今、出版の条例ありて、少しく人の妨を爲す。故に深く之を家に藏めて時節を待ち、後世子孫をして今日の實況を知らしめ、以て日本國民抵抗の精神を保存して、其氣脈を絶つことなからしめんと欲するの微意のみ。但し西郷氏が事を擧げたるに付き、其前後の記事及び戰爭の雜録等は、世上既に出版の書もあり、又、今後出版も多かる可し。依て之を本編に略す。      明治十年十月二十四日          福澤諭吉 記

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▼ 福沢諭吉は城山城陥落直後にこの文章を書いた。政府が一つの方向に突き進もうとしている時に、西郷の行動原理を大切に掬いとり擁護し、「抵抗の精神」の大切さを説いた福沢諭吉は、言論人として真っ当である。「ラストサムライ」の設定は1877年である。明らかに西郷隆盛を意識して物語を紡いでいる。脚本も手がけ総指揮をしたエドワード・ズウイック監督は、劇的な時代の変節点で、捨て去られようとする一つの精神をそっと掬い上げ、愛情と敬意を注いで見つめている。 


 ▼この正月、薦められて萩原延壽の「自由の精神」(みすず書房)を読んだ。萩原は湾岸戦争時、「人間と国 」という文を寄せてその中で福沢諭吉の「丁丑公論」をあげて西郷隆盛と西南戦争について明確に位置付けている。引用する。
 

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 城山陥落の翌日の『郵便報知新聞』は、「西郷ガ最後ノ一戦」は、「封建精力ノ最後ニ発シタル一戦争」と論じたが、一つの時代が終わろうとしている変革期に、その過ぎ去ろうとしている時代の価値を一身に体現し、これを新しい時代に引き継ぐ役割を果たす「最後の人」が現れることがある。
 いや、この「最後の人」が現れなければ、人間精神の血脈はとだえてしまうおそれがある。「もしそういう人物が存在しなければ、われわれはそういう人物を発明しなければならない」ほどである。
 
福澤の「丁丑公論」にも、この主題が音を立てて流れているように思われる。文明開化の先導者福澤も、西郷を必要としたのである。明治維新後の日本は、近代国家へと変貌する過程で、たとえば西南戦争という痛苦をくぐり抜けてきたわけだが、変革の規模において、よく維新後の日本と比較される戦後の日本は、敗戦という巨大な経験の意味をめぐって、西南戦争に匹敵するような、新旧の価値がはげしくぶつかりあう象徴的行為を通過してきたであろうか。

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                     (つづく)
 
                        2004年1月6日