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    ラスト サムライ(2)    1月7日

カンパニュラ ・ポシャルスキナ(品種 アルペンブルー) / キキョウ科カンパニュラ属 寒さに強い多年草。原産地はユーゴスアラビア北部。花はせいぜい3cm以内と小さいが、よく開花し、清楚な感じがする。茎が横によく伸び、性質は丈夫なので、吊り鉢、寄せ植え、ロックガーデンなど用途が広い。花は広鐘形で、淡紫青色。カンパニュラとはラテン語で「小さな鐘」。一般には釣鐘型のものが多い。
花言葉は花言葉は、感謝・大望・抱負・不変・貞節・誠実・思いを告げる・後悔・うるさい 。
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「ラスト・サムライ」を制作したエドワード・ズウイック監督も主演のトム・クルーズも、黒澤明監督の「7人の侍」に深く影響を受け映画の道に入った。彼らは黒澤を通じて侍を知り武士道に魅せられた。その黒澤が描いた武士の多くは、体制から弾き出された市井の浪人である。彼らは恵まれない環境の中にあっても自らの武士道を追求しつづけた個人主義者であったともいえる。黒澤の温かい眼差しが侍に誇り高い個人主義者としての地位を与え、世界を魅了したのだ。「ラストサムライ」に登場する勝元をはじめとする侍たちは黒澤がハリウッドに与えた宿題の答案でもあるのだ。
▼短い間に驚くほど近代化された明治政府軍を前に、勝元(渡辺謙)率いる武士団は果敢に向っていく。その侍たちを迎え撃つギャトリング・ガンの金属爆音が無機的に響き渡る・・・。やがて
この余りにも残虐な殺戮に耐えられなくなった帝国軍将校は、大将の命令に背いてギャトリング・ガンの銃撃を制止する。静寂の中、標的となった勝元とオールゲレン大尉(トム・クルーズ)の無残な姿を敵の兵士たちは注視する。勝元はオールグレンに自らの刀を託したあと自害する。その際、勝元の目に映った散り染めの桜、彼は「完璧だ」と言って息絶える。この光景を見た帝国軍将校は思わず平伏し、つづいて政府軍の兵士たちも次々と平伏しその誇り高い最期の姿に敬意を表す・・・・・。このようなシーンを感慨深く書き連ねていくことに、「いかがなものか」と抵抗を感じる人も日本人の中には多いはずである。しかし、ズウイック監督たち米国人スタッフは無邪気にこの死に様、いや生き様に、美しく誇り高い人生の求道者(個人主義者)の理想を見て敬意を表しているのだ。その直線的なとらえ方が、日本人観客をはっとさせる。それは恐らく、自らの責任において人生を求道し、自らの責任において事に当たる日本人が余りにも少なくなってきた、という現実が、残念ながら学校でも企業でも地域社会でも蔓延しているからだろう。

▼再び、萩原延壽の「自由の精神」(みすず書房)から引用をさせてほしい。その中で彼は日本の革新勢力の停滞について述べている。

 ☆☆☆ 現在の日本において、一つの大きな逆説は、革新と社会主義が同一視されることによって、社会主義がいっそう革新的になるのではなく、むしろ、それは、社会主義の混迷と停滞とを促進している、という点にある。革新すなわち社会主義という等式が無条件で受け入れられているために、革新と社会主義の双方が持っている本来の意味が曖昧になり、それぞれが持っている本来の機能が充分に発揮されていない、という事実である。 ☆☆☆

▼この現状の認識からスタートした萩原は「革新とは何か?」という命題を、もう一度、マルクスやヘーゲルの書を引っ張り出しながら考察する。そして、「革新」とはたえず現在を変革しようとする精神態度だと明確に位置づける。
 
☆☆☆ 革新であるということは、言葉の原義からみても、歴史的な用例から判断しても、必然的に特定の世界観や政治思想の姿勢と直結するものではなくて、むしろ、一つの精神態度、さまざまな世界観や政治思想に対決する一つの姿勢、に関係するものであることが理解される・・・
(「革新」とはなんらかの意味で、現在の変革を志向する精神態度だということだけである。その「変革」の対象となる「現在」は、資本主義の場合もあり得るだろうし、社会主義の場合もあり得るだろう。しかし、精神態度である革新は、一定の世界観を含むイデオロギーとしての社会主義とは、必然的に結びつかない  ☆☆☆


革新とは絶えず現在を変革しようとする精神態度  という観点でみれば、とてつもない権威の壁を脱藩によって乗り越え世界へでた幕末の侍たちと、維新後10年その余りにも性急な欧化主義に異を唱え各地で反旗を翻した侍たちも同じ範疇にある。彼らに共通なのは一人一人が明確な個人としての意思があったことだ。しかし、明治維新後、とりわけ日露戦争後、この「誇り高い個人主義」は、肥大してゆく組織の中で形式主義や教条主義の中に封じ込められてしまった。そして、それは今も続く。これほど組織に綻びが見える中で、一人一人の日本人の散り際がこんなに無様で曖昧な時代もないのではないだろうか。皆が責任を上へ上へと押し上げ、肥大化した組織の中で無作為を決め込んでいるからだ。


 私がこの映画で最もタイムリーだと思うシーンは、最後、オールゲレン大尉が勝元の刀を携え面談した場面である。死をもって「日本人の誇りを忘れてはならない」と忠言した勝元の行為が天皇を動かし、天皇は決まりかけていた米国の軍事産業との契約を白紙に戻す。やや唐突な行動だったが、制作者は現人神に祭り上げられ形式化されようとしていた天皇にも個人としての誇りを取り戻させたかったにちがいない。

▼日米軍事同盟が覆ることの出来ないと権威となり、これに歯向かうことは日本国の自滅にも繋がりかねないという諦念の空気が広がっている。しかし、ほんとうにそうなのだろうか。
「アメリカが占領という既得権意識を捨てない限り、イラク戦争は終息はしない。アメリカ中心にイラクを統治するという無謀な夢は早く捨てるべきだ。米国の企業優先で全てを取り仕切ろうとする欲望は捨てるべきだ、国連を中心にした世界の新たな秩序を築き始めるためにアメリカは譲歩すべきだ。」 いま小泉首相は堂々とアメリカに進言しそれを国民に示してほしい。 それが、日本に再び誇りと威厳を取り戻す道に繋がると思う。
映画「ラストサムライ」を、年末、鑑賞した小泉首相は「感動した」とインタビューに答えた。何に感動したのか、次のフレーズを聞きたかった。

                          2004年1月7日
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