見落とした花     20041月31

フクジュソウ(福寿草)/キンポウゲ科フクジュソウ。雪の中から咲く花。旧暦の正月頃に咲き始め、貝原益軒は福寿草とともに元日草と呼んだ。長寿草ともいう。岩手や青森ではマンサグとかツチマンサクと呼ぶ。「土からまず咲く」の意。

福寿草の花言葉は、永久の幸福・回想・思い出・幸福を招く(日本)・祝福、悲しき思い出(西洋)

▼板橋区の植物園を歩く。あとひと月もすれば園内は春の香に溢れてくるのだろうが、今は、小さなスイセンの群生を除いては何もない。
▼前から老夫婦が歩いてくる。妻は杖をつき夫の腕をしっかりとつかんで、一生懸命、夫に話しかけている。少し呂律が回らない。よく聞き取れない話に夫は前を向いたまましきりに頷いている。すれ違った中年男のことなど、全く気付いていない。この植物園はリハビリのための場なのだ。二人は懸命な時の中にいるのだろう。花のことなどどうでもいいのかもしれない。
▼ 名札を一つ一つ読み、その草木の旬の姿を想像しながら歩いた。ここ数年、写真を撮る中で花の知識は随分ついてきた気がする。冬の植物園はその復習にはちょうどいい。

▼ふと妻の言葉が浮かんでくる。「あなたは本当は植物のことはなにもわからない。ただ、写真を撮れればいいのよ。」私がベランダに植える草花は、いつもうまく咲いてくれない。土が悪いのだろうか、日当たりのせいなのか、と思い巡らすが、妻の言いたいことは、私には植物への愛情がない、ということなのだろう。それは自分勝手で家族を振り返らない夫への痛烈な皮肉でもあるのだ。私は植物を愛でているのではなく、撮るという所作に酔っているだけなのかもしれない・・・。

▼「まあ、綺麗ね。鉢植えより土のほうがやっぱり似合うわね。」 後方のから、甲高い女性の声が響いた。振り返ると、先ほどすれ違った夫妻がしゃがんでいる。 あんなところに花があっただろうか。見落としていた。どんな花だろう。今来た道を引き返した。

▼そこには、冬の斜光を浴びて、茶色い土から黄金色の福寿草が見事に花開いていた。植物の名前を書いた札はない。札だけをみてあるいた自分は、大切なものを見落としてしまった、というわけだ。今年の元旦、ベランダで咲かせてみようと思っておいた福寿草は今もなんだか元気ない。大きく花開いた福寿草を写真に撮りたいと思っていた。その肝心のものを見逃してしまったのだ。おかしくなった。

▼土にひざまづいてシャッターを切った。なにはともあれ、無事、カメラにおさめることができたことで、充足感に浸る凡百がいる。

▼前方には、腕を組んでゆっくり歩く、先ほどの夫婦の長い影があった。自分はなぜ、植物を育てることが下手なのか、その理由が身に染みてわかる気がした。

                          2004年1月31日