冬の夏みかん       1月10日

夏蜜柑/夏橙(なつだいだい)が正式な名称。1700年頃(江戸時代中期)、現在の山口県長門市の青海島、大日比海岸に漂着したかんきつの種子を西本於長という女性が播いたのが起源。その原木は昭和2年4月8日に史跡名勝天然記念物に指定され、現在でも、西本家の庭で保存されている。
 夏みかんと八朔(はっさく)、外観は似ているが、味は全く異なる。甘夏と呼んでいるのは夏みかんの改良種であり、本来の夏みかんは原産地の萩と和歌山県の一部のみで栽培。大分県原産「甘夏」と宮崎県原産「日向夏」などを含めて夏みかんと総称されることもある。蜜柑(みかん)の花言葉は、木が「寛大」、花が「清浄」。

▼ 冬の日差しを受けて、夏みかんの黄色が暖かく際立っている。その厚い皮の中では静かに果汁が滲み出ていることだろう。夏みかんの果実は秋に実る。この時、あせって採ってはいけない。あまりにも酸っぱくて食べられないからだ。そのままじっと待ってほしい。その黄色い皮の上に雪が降り積もってもじっと待つ。冬の冷気を潜り抜け春一番に実を揺らす黄色い姿を辛抱強く見つめながら、じっと待つ。果実は初夏になってようやく食べごろになる。夏みかんと呼ばれる訳はここにある。
▼子供の頃、故郷の家々の庭に夏みかんの実がいつまでも垂れ下っているのが不思議だった。なぜ食べてしまわないのだろうかと不思議に思っていた。そのじれったい黄色い実が、ある時突然、爆発するのではないかという愚かな妄想に駆られたこともあった。重く垂れ下る夏みかんは黄色い爆弾だと思った。梶井基次郎の「檸檬」を知った時、自分と同じ思いを持つ人がいるものだ、となぜか勝ち誇った気持ちになった。本屋に入り積み上げた本のてっぺんに檸檬を載せ逃げる主人公の弾む気持ちに無理なく共感できた。
▼その黄色い色彩のドラマ性を見事に描いてみせたのは芥川龍之介だと思う。「蜜柑」という小品が好きだ・・・・・・・・・・。
 或る曇った冬の日暮れである。一人の男が横須賀発上り二等客車の隅に腰を下ろして、ぼんやり発車の笛を待っていた。とうに電燈のついた客車の中には、男以外に一人も乗客はいなかった。やがて発車の笛が鳴る。と同時にけたたましい下駄の音が改札口の方から聞こえ出したかと思うと、間もなく車掌の何か云い罵る声とともに、二等車の戸ががらりと開いて、十三四の小娘が一人、慌しく中に入ってきて男の前に座った。
▼「・・・それは油気のない髪をひっつめの銀杏返しに結って、横なでの痕のあるひびだらけの両頬を気持ちの悪いほど赤く火照らせた、いかにも田舎者らしい娘だった。しかも垢じみた萌黄色の毛糸の襟巻きがだらりと垂れ下った膝の上には、大きな風呂敷包みがあった。その又包みを抱いた霜焼けの手の中には、三等の赤切符が大事そうにしっかりと握られていた。私はこの小娘の下品な顔立ちを好まなかった。それから彼女の服装が不潔なのもやはり不快だった。最後にその二等と三等との区別さえも弁えない愚鈍な心が腹立たしかった。・・・・」
▼男は不快な小娘から目を離し夕刊を読み始める。しかし電燈の光に照らされた夕刊の紙面を見渡しても、男の憂鬱を慰むべく、世間は余りに平凡な出来事ばかりで持ち切っていた。列車はトンネルの中に入る。「・・・・・この隊道(トンネル)の中の汽車と、この田舎者の小娘と、そうして又この平凡な記事に埋まっている夕刊と、―−−これが象徴でなくてなんであろう。不可解な、下等な、退屈な人生の象徴でなくて何であろう。私は一切がくだらなくなって、読みかけた夕刊を抛り出すと、又窓枠に頭をもたせながら、死んだように眼をつぶって、うつらうつらし始めた。」
▼それから幾分か過ぎた後、その小娘があわただしく窓を開けようとしはじめる。罅だらけの頬は愈々赤くなり、時々鼻を啜るすすりこむ音が、小さな息の切れる音と一緒にせわしく耳に入ってくる。汽車が再びトンネルに入った。と同時にバタンと窓が落ちで開いた。すぐに汽車の吐き出す黒い煙が濛々と飛び込んでくる。咳き込みながら男は怒鳴ろうとした時、汽車はトンネルを抜け出した。そこは枯野の山と山との間に挟まれた、ある貧しい町はずれ、まもなく踏み切りにさしかかろうとしている。踏み切りの近くには、いずれもみすぼらしい藁葺き屋根は瓦屋根がごみごみと狭苦しく建てこんでいる。
▼「・・・・・・・・その時その蕭索(しょうさく)とした踏切の柵の向こうに、私は頬の赤い三人の男の子が、目白押しに並んで立っているのを見た。彼等は皆、この曇天に押しすくめられたかと思う程、揃って背が低かった。そうして又この町はずれの陰惨たる風物と同じような色の着物を着ていた。それが汽車の通るのを仰ぎ見ながら、一斉に手を挙げるが早いか、いたいけな喉を高く反らせて、何とも意味の分からない喊声を一生懸命迸らせた。
▼するとその瞬間である。窓から半身を乗り出していた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢いよく左右に振ったかと思うと、忽ち心を躍らすばかり暖かな日の色に染まっている蜜柑がおよそ五つ六つ、汽車を見送った子供たちの上へばらばらと空から降ってきた。私は思わず息を呑んだ。そうして刹那に一切を了解した。小娘は、恐らくはこれから奉公先へ就こうとしている小娘は、その懐に蔵していた幾つかの蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏切まで見送りに来た弟たちの労に報いたのである。
▼暮色を帯びた町はずれの踏切と、小鳥のように声をあげた三人の子供たちと、そうしてその上に乱落する鮮やかな蜜柑の色と---すべては汽車の窓の外に、瞬く暇もなく通り過ぎた。が、私の心の上には、切ないほどはっきりと、この光景が焼き付けられた。そうしてそこから、或る得体のしれない朗らかな心もちが湧き上がって来るのを意識した。私は昂然と頭を挙げて、まるで別人を見るようにあの小娘を注視した。小娘は何時かもう私の前の席に返って、相変わらずひびだらけの頬を萌黄色の毛糸に埋めながら、大きな風呂敷包みを抱えた手に、しっかりと三等切符を持っている。・・・・・・・・・・・
 私はこの時始めて、云いようのない疲労と倦怠とを、そうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅かに忘れる事が出来たのである。」(「蜜柑」 芥川龍之介)

▼久しぶりに芥川を書き写しながら、この十代に読んだ小品に今尚大きな影響を受けている自分を痛感している。
 
 日差しを受けて鮮やかに浮かび上がる冬の夏蜜柑。重く垂れ下ったその姿には、この退屈でつまらない日常を一気にひっくり返し、忽然と予想外の展開に連れ込む魔性がある。
 蜜柑にはそんな爽快で危険なかおりがある。

                          2004年1月10日