クリスマスまでには帰ってくる 2月1

クリスマスローズ/キンポウゲ科クリスマスローズ属。一重咲きの上品な花はバラに似ている。クリスマスの頃に咲くのでクリスマスローズと呼ばれ特にヨーロッパで親しまれてきた。花は3月末まで咲き続ける。原産地はヨーロッパ中部から地中海沿岸地方。花は白だが徐々に淡紫を帯びてくる。
花言葉は、スキャンダル・思い出を懐かしむ・私を安心させて・中毒、悪評・誹謗・発狂・追憶・慰め・私の心配を和らげて下さい


▼ 公園にクリスマスローズの白い花が咲いている。清楚な姿だが、首をかしげるように花びらをうつむかせる様子は、憂いを含んでいる。クリスマスローズの花言葉の数々も、この風情からだろうか、悲しげで憂鬱なものが多い。
▼クリスマスローズの原産地はヨーロッパである。今から1世紀近く前の1914年の夏、ヨーロッパでこんな合言葉が流行った。「クリスマスまでには帰ってくる・・・」  
(以下、NHKスペシャル「 映像の20世紀 第二集 大量殺戮の完成 」より引用)  
 1914年の7月28日、第一次世界大戦が始まった。それまでの半世紀、ヨーロッパは戦争から遠ざかっていた。若者たちには戦争の記憶がなかっが、ドイツ帝国が宣戦布告をしたその日、450万人の若者が兵士として動員された。あるドイツ兵士の手紙、「とうとう明日午前11時、徴兵のために集まれという命令を受け取りました。今か今かと待ち受けていたところです。知り合いの若い女性に会いました。軍服でないのが恥ずかしいくらいです。僕はもう平和の時代の人間ではありません。自分のことや家族のことを考えると小さく弱くなりますが、祖国のことを考えると強くなれるのです。」
 欧州では一ヶ月で一千万人の人々が兵士として動員された。この時、国の指導者から出征兵士にいたるまで戦争は数週間で終わると信じていた。 従軍したオーストリア人作家ツバイクはこう記している。
 「あの頃は人々はまだ疑うことは知らなかった。ロマンにあふれた遠足、荒々しい男らしい冒険、戦争は3週間、出征すれば息もつかぬうちに戦争は終わる。たいした犠牲を出すこともない。私たちはこんなふうに1914年の戦争を思い描いていた。
クリスマスまでには家に帰ってくる。新しい兵士たちは笑いながら母親に叫んだ。クリスマスにまた・・・・。」

▼今夜9時からのNHKスペシャル「陸上自衛隊 イラク派遣 〜ある部隊の4ヶ月〜」。まもなくイラクへ派遣される可能性がある福島の陸上自衛隊の隊員達の節目節目の心模様をインタビューで迫る意欲作である。主人公の隊員達はイラクに行けば警備を担当することになる普通科部隊という歩兵隊員だ。テロとの接近戦の訓練が始まった当初、隊員達はイラクへ派遣されることには懐疑的である。「自国を守るためにはがんばるけと、イラクという他の国を守るということにたいしてはモチベーションがわかない・・・」と複雑な表情を見せる。・・・・・・・

▼瀬戸内の故郷の町にも自衛隊の基地があった。小学校のクラスメート、その親の多くは商店街の店主、塩田跡にやってきた工場の工員、
公務員、そして自衛隊員だった。父親が自衛隊員だった友達の家に遊びによく行った。共稼ぎのため鍵っ子だった自分にとってそこは理想的な家庭のように映った。威風堂々としていて暖かで、竹とんぼなどをあっという間に作ってしまう器用な友人の父親の姿が眩しかった。平和憲法の中で、半世紀、戦地に赴かない自衛隊員はそれぞれの地域の中で、父親として確かな存在感を保ってきたのではないだろうか。番組の中で、休日に息子のサッカーの試合の必ず観戦する隊員、近くの身障者の施設に慰問し、笑顔で「世界に一つだけの花」を歌う若い隊員達の姿は日本の戦後そのもののである。

▼見えない敵との戦いという
新しい構図は東北の基地の訓練の様相をも一変させた。至近距離で人を撃つ訓練が新たに加わった。自爆テロに対抗する訓練も始まった。国会で政府がノラリクラリと言葉遊びとしている間に、現地の隊員達はいち早く、イラクでの市街戦を想定して具体的に動き出している。「イラクに安全な場所などない」彼らの言動の中から、無作為と無責任な態度で時間を空費する政府への苛立ちをも感じ取れる。いつも、戦地に放り出され、殺戮の現場に直面させられるのは、名もない兵士であり市民である。かつて、中国大陸に放り込まれた関東軍も、やがて何の指示もなく音沙汰も無い東京の政府の無作為に痺れを切らし被害妄想になり、暴走を始めたのではないか。
▼戦後、奇妙なタブーの中、極めて曖昧な歳月を経て、イラクへ送り込まれた彼らがそこで殺戮の現場に曹禺した時、何が巻き起こるのだろうか。その時、イラク現地の自衛隊員が第二の関東軍へと変質しないと誰が言い切れるだろうか。・・・・・・・
 ▼画面の中の隊員達の顔が、年を明けてから険しくなってゆく。イラク派遣が現実のものになってきたからだ。福島駐屯地での連隊長の挨拶。「平成16年は我々自衛隊にとって新しい頁を開く、試練の年になります。諸君ごそんじのとおり、我々の同僚である北部方面隊の部隊がまもなくイラクに派遣される。われわれ陸上自衛隊が文字通り、身の危険の中で任務を遂行する、そういう時代を迎えたということです。我々が今できることは日々の訓練の中で、厳しい訓練の中で妥協を廃し、我々自身を徹底的に鍛えていく、それだけです。どんなに厳しい状況の中でもどんなに危険な状況のもとでも、絶対に死なない。生きて生きて、生き抜いて、最後の最後まで任務を完遂する。・・・・」
▼連隊長の厳しい挨拶を聞いた後の隊員の表情はいっそう険しくなる。番組は、ある幹部隊員のインタビューで締めくくられる。「命令を与えなければいけないのは我々幹部の務めで、撃て!と命令を発するようになると思うんですが、その時もしこのうちの誰か一人に撃たせて相手を殺させた場合、相手にも当然家族がいるわけで、撃った隊員が無事日本に帰ってきたとしても、一生、人を殺した、という感覚が残り十字架を負って生きていかさせなければいけないのです。殺されなければいいやと今までは思っていたのですが殺させるという行為もさせないようにしなければいけない・・・・・」 幹部隊員の祈るような言葉が響き渡った。

▼3月下旬までに550名の陸上自衛隊員がイラクに派遣される。今は新聞一面を賑わすイラク派遣のニュースもやがて日常的な出来事となり紙面の片隅に忘れられていくのだろうか。人々は「またイラク派遣か」とうんざり顔で、なにか他に新しく刺激的なニュースはないものか、と呟く。残念ながらこれが今の日本の現実だ。

昭和15年、こんな俳句が遺された。「戦争が廊下の奥に立っていた」
          (渡辺白泉)

「クリスマスまでには帰って来れる」1世紀前、 そう歌って嬉々として戦地に出て行った若者たちが、帰ってきたのは結局 4年後だった。大切なのは、いつ撤収するかだ。そこに政府の英断が必要とされる。ずるずると時が空費されることのないように祈る。

                      2004年2月1日