紙幣になる木      3月15

ミツマタ(三椏)/ジンチョウゲ科キミツマタ属(エドゲウォルチア属)。

枝がその先で、三つに分かれるのでこの名がついた。
 エドゲウォウルチアという属名は19世紀のイギリスの植物学者M・P・エドゲウォースにちなんだ。

樹高1〜2メートルの低木。中国原産だが室町時代にはすでに日本に入っていた。花は長さ1センチ、径3ミリぐらいの筒状で葉よりも先に枝先に蜂の巣のように集まって下を向く。、内側が黄色、時に赤色。花弁はなく、筒状のガク筒は外側が白い綿毛でおおわれ開花と共に芳香を発する。
コウゾ、ガンビとともに昔から和紙の原料として利用されてきた。明治以降、紙幣の原料として欠かせない。花言葉は、意外な思い・強靭。

▼冬、公園でミツマタの低い木を見つけた。白い綿毛に覆われた固いくるみのようなガク筒が、3つに分かれた枝先にぶら下っている。ミツマタの木は繊維が長くて強く、つやがあることから明治になって紙幣や地図用紙に使われるようになった。
▼ミツマタの枝を刈り取り山の斜面を下る年老いた農婦。刈り取ったミツマタを蒸し,ていねいに樹皮をはがし、和紙に必要な繊維を含んだ「白皮」を取り出す「しじり」という作業。かつてバブルの最盛期、中国地方の山間の村で見た仕事は、やがて工程の最後に出来あがるであろう札束の姿とはおよそ懸け離れた地味なものだった。

▼紙幣でふと思い出したのが、今年5千円札の顔として、初めて登場する樋口一葉のことである。明治の初め、貧困から這い上がろうと悪戦苦闘した一葉は、芯が強くて気位高く、それでいて時折、驚くほど甘えてくる、気になる女性であったにちがいない。一葉は明治5年(1872)の3月、東京・内幸町で生まれた。24歳という若さで結核を患い世を去った一葉は、その短い人生、筆一本で自立し貧困から抜けだそうと格闘した。名前だけを聞くと、近代日本最初の女性作家として、お札の顔になることを、皆、素直に受け入れたようだが、一葉の小説を読み、また彼女の生き様を知るものには、5千円札にあの容姿が刻まれるとは、なんとも皮肉な運命の巡り合せのように思える。
▼樋口一葉の「にごりえ」。一葉は文語体で小説を書いた最後の作家であろう。その文章は、句読点を打ち続け、主語が次々に入れ替わりながら、どこまでも続く。そのお経のような独特の文体が描き出す世界は異様な活気とリアリティに溢れている。「にごりえ」で描き出されたのは東京、白山あたりの銘酒屋街、「おい木村さん信さん寄っておいでよ、お寄りといったら寄っていいではないか、又素通りで二葉やげ行く気だろう、押しかけて行って引きずって来るからさう思ひな、ほんとにお湯なら帰りにきっとよっておくれよ、嘘つ吐きだから何を言ふか知れやしないと店先に立って馴染らしき突かけ下駄の男をとらへて小言をいふやうな物の言ひぶり、腹も立たずか言訳しながら後刻にと行過るあとを・・・・・・、・・・・・、・・・・・・、」  テレビ屋として、この活気にあふれた止め処ない色街の描写を、編集しないハンディカメラの1カットで描ききってみたいと思う。アメリカのテレビ番組「ER」のような凄みのある映像表現ができると今も思っている。
▼「にごりえ」で主人公になったのは、お力と呼ばれる色街の女である。お力の描写は実に水際立って、はっとさせられる。「お力と呼ばれたるは、中肉の背恰好すらりつとして洗い髪の大島田に新わらのさわやかさ、襟元ばかりの白粉も栄えなく見ゆる天然の色白を、これみよがしに乳のあたりまで胸くつろげて、煙草すぱすぱ長煙管(ながきせる)に立膝の無作法さも咎める人のなきこそよけれ、・・・・・・、・・・・・・・、・・・・・・・」色街で菊の井のお力を知らぬものはいない。
▼お力の周辺に一葉は二人の男を配置する。一人は布団屋の源七。お力に入れあげて身代をつぶし、肉体労働をして暮らしている。源七は、落ちぶれ果ててもお力のことを忘れられず、街を彷徨っている。その源七の女房はお初、色街にとらわれ抜け殻となった夫を心配しながらも懸命に子育てに励む姿がいじらしい。取り残された女房たちのいい知れぬ寂寥感が短い描写の中で
切実に伝わってくる。
▼ 祭りの日、人ごみを掻き分けるようにして、お力が行く。「・・・・・、ああ嫌だ嫌だ、どうしたなら人の声も聞こえない物の音もしない、静かな、静かな、自分の心もぼうっとして物思ひのない処へゆかれるであろう、つまらぬ、くだらぬ、面白くない、情けない悲しい心細い中に、何時まで私は止められているのかしら、これが一生か、一生がこれか、ああ嫌だ嫌だ・・・・・、・・・・・、・・・・・、」句読点を打ちながら、人生の不条理を受け止められずはちきれそうなお力の心内がどこまでも書きつられてゆく。そして、このとんでも長い一文は次の描写でようやく句点が打たれる。
「・・・・、・・・・・・、・・・・・・、気が狂ひはせぬかと立ちどまる途端、お力何処へ行くとて肩を打つ人あり。」 お力に声をかけたのは、結城朝之助という紳士である。男ぶりはよし気前よし、今にあの方は出世なさるにちがいない、色町の女たちの憧れである。夜店の並ぶ雑踏を、朝之助の腕にぶら下りながら、お力は菊の井の座敷に連れ戻る。そして、この描写、「・・・・・、・・・・・・、・・・・・・、肩巾のありて背のいかにも高き処より、落ちついて物をいふ重やかなる口振り、目つきの凄くて人を射るやうなるも威厳の備はれるかと嬉しく、濃き髪の毛を短く刈り上げて襟足のくっきりとせしなど今更のやうに眺められ、何をうつとりしていると問われて、貴君のお顔を見ていますのさと言えば、こやつめがと睨みつけられて、おお怖いお方と笑っているのに、冗談はのけ、今夜は様子が唯でない聞いたら怒るか知らぬが何か事件があったかととふ、・・・・・・、・・・・・・、・・・・・、・・・・・、」 朝之助の描写を読んでいると、なるほどこんな男の風情が女性を惑わすのか、さりげないシーンの一つ一つに現実味がある。
▼ そして、この束の間のお力の幸せを、作家・樋口一葉は一瞬にして切り捨てる。貧しく、その日の飯にもありつけない源七とお初の長屋に、幼い息子・太吉郎がお菓子の大袋を抱えて帰ってくる。お初が「誰にもらったのか」と尋ねると、太吉郎は「菊の井のお初」と答える。夜店が並ぶ祭りの雑踏で、朝之助と出会い安定を取り戻したお初は、太吉郎の姿を見かけ、お菓子を買い与えたのだ。これを聞いて、貧困を耐え忍び、健気に働くお初がキレル。畳み掛けるお初の言葉が、街をさまようお初の混乱と相似するようにほとばしる。「・・・・・、・・・・・、・・・・・、ああ年がゆかぬとて何たら訳の分からぬ子ぞ、あの姉さんは鬼ではないか、父さんを怠け者にした鬼ではないか、お前の衣類のなくなったも、お前の家のなくなったも皆あの鬼めがした仕事、喰らいついても飽き足らぬ悪魔にお菓子を貰った食べても能いかと聞くだけが情けない、汚い穢いこんな菓子、家へ置くのも腹が立つ、捨ててしまいな、捨てておしまい、お前は惜しくて捨てられないか、馬鹿野郎めと罵りながら袋をつかんで裏の空地へ投げ出せば、紙は破れて転び出る菓子の、竹のあら垣打こえて溝の中にも落ち込むめり、・・・・・、・・・・・・・」
▼ この騒動を聞いて、奥で塞ぎこんでいた源之助がでてくる。そして、話のあらましを知った源之助は、お初を厳しく咎める。これに対し、お初は口も利かれぬほどこみ上げる涙を飲み込んで、「・・・・、これは私が悪うござんした、堪忍をして下され、・・・・、・・・・・、モウいひませぬ、モウいひませぬ、・・・・・、・・・・・・、・・・・・・、改めて言ふまでは無けれども私には親もなし兄弟もなし、差配の伯父さんを仲人なり里なりに立てた者なれば、離縁されての行き処とてはありませぬ、どうぞ堪忍して置いてくだされ、・・・・・、・・・・・・、・・・・・・、」  このお初の必死の侘びの言葉に対しても、源之助は「どうしても家に置かぬ」といって壁に向って黙り込む。
▼ この源之助の光景を見て、お初はキリッと覚悟する。このハッとする女性のスイッチの切り替えに気付くことなく、何度、取り残されてきたことだろう。
▼お初は、太吉郎に「お父さんとお母さん、どっちがいい?」と問う。太吉は「おいらはお父さんは嫌い、何も買ってくれないもの」と正直に答える。お初はこの夜、太吉郎の寝巻きの袷、はらがけだけを風呂敷に包んで、太吉郎を連れてでていってしまう。この夜の心理描写も実にリアルである。それぞれの心の機微がどこまでも続く長い一文に連なって、絡まりあって悲しい運命の調べを奏でてゆく。
▼「魂祭り過ぎて幾日、まだ盆堤燈のかげ薄淋しき頃、新開の町を出し棺二つあり、一つは駕籠にて一つはさし担ぎにて、・・・・・、・・・・・・」  その短編の幕切れはあまりにも唐突で切ない。妻子に去られた源之助は、お力を誘い出し、無理心中をしてしまう。その時の源之助のやるせなさ、その時お力の心模様は、そして、知らせを聞いたお初は・・・・・それぞれの心の襞をあの長く縺れるような文体で吐露することなく、話は途切れる。取り残された読者は、身についた一葉節をそれぞれ奏でながら、それぞれの余韻にしたる仕掛けになっている。
▼明治の初め、貧しい民はどのようにして生きていけばよかったのか?男ならば車夫などの肉体労働、女性ならば芸者や遊女、その中で樋口一葉は文章で身を立てようと思った。その筆一本で母や妹たちの生計を支えようとした。そして、文章を指導した12歳年上の半井桃水への思慕と破局、「にごりえ」の結城朝之助の描写にその姿を見てとれる。その10歳代の純愛を経て、22歳の一葉は貧困の中で、一面識もない占い師に生活援助を頼みこみ、肉体を強要される、という闇の淵を彷徨う。このどん底が、「奇跡の十四ヶ月(明治27年12月〜29年1月)」と呼ばれ、「にごりえ」「たけくらべ」「大つごもり」などの名作は全てこの闇の中から零れ出た。
▼ まさか1世紀を経て、自分の顔が、自分を一番苦しめた貨幣の上に刷り込まれようとは・・・・・一葉も目を丸くしているだろう。夜の歓楽街で男たちがポケットの中からしわくちゃの一葉の顔を引っ張り出す光景はなんとの可笑しくも悲しくもある・・・・・
▼春、再びミツマタの前に来た。おおむね黄色いミツマタの花木に混じって、紅色のミツマタの花が鮮やかに、目を奪った。その姿は、あの「お力」のようだと思い、家に帰って、ひさしぶりに「にごりえ」を読んだ。 

                      2004年3月15日