おかえりなさい&ありがとう  4月18

 カントウタンポポ/キク科キク科タラクサクム属
 属名Taraxacumは、ギリシャ語の「タラキス(不安)」と「アケオマイ(治す)」を組み合わせたもの。
 俳諧では「たんぽ」「鼓草(つづみぐさ)」「藤菜(ふじな)」の名とともに春の季語。

 総苞(そうほう。緑色の萼のように見える部分)が反り返りがあるのが外来種で、反り返りがないのが在来種。


▼4月18日の夜、イラクから無事帰国した高遠菜穂子さん、郡山総一さん、今井紀明さんに、心から「おかえりなさい。」と言いたい。あえて、そう言わなければならないほど、人質解放直後から3人は日本国内世論の冷たい眼差しに晒されている。「とんだ人騒がせな連中だ。なぜ政府が避難勧告を出した地域に勝手に入ったんだ。そもそも安全管理は自己責任でおこなうべきだ。」 「人質救出にどれだけの費用がかかったことか。莫大な税金をつぎ込んだ。その費用を請求すべきだ。」という声が相次ぐ。そんな多数派の声を浴び、心が寒々としてくるのは自分だけだろうか。
▼3人の過去を面白おかしく暴く記事から、今回の人質事件そのものが自作自演ではないか、という憶測記事までが巷に出回る。なぜ、この国はいつもそうなってしまうのでろう。仮に彼らが忌まわしい過去を持っていたとしても、それをバネにして彼等は今、イラクでボランティアをしている。なにが悪いというのか。高遠さんは、イラクの学校に文房具を配るボランティアをしている。その活動の下地は亡くなった外務省の奥大使や井上書記官が作ったものだ。危険極まりない現地で人道支援を遂行するためには、こうした一般市民のボランティア活動が必要なことはまぎれもない事実ではないのか。そのことが余りにも度外視され、危険な場所に勝手に行き安全に対する「自己責任」がない、という非難だけが一人歩きしている。
▼高遠さんが解放直後、「犯人たちにひどいことをされた。でも・・・・・イラク人を嫌いになれない。今でもイラク人を愛している。」と言って泣き崩れた映像は、アルジャジーラを通じて世界中に配信された。これほど、日本人のイラク復興に対する真摯な思いを伝えたシーンはないのではないだろうか。その宣伝効果だけでも、莫大な税金をつぎ込む意味はある。
100人の外交官の仕事に値する。
▼解放の立役者となったイラク聖職者協会、そのクベイシ師は再三テレビにでてすっかり有名になった。解放後、マスコミはさっそくクベイシ師は何者だ?という特集を組み、今回の事件でクベイシ師はスンニ派の宗教指導者として有利な地位を築く、などと予測する。でも、その前に日本人としてすることはないのか、と思う。「日本人救出に尽力してくださりありがとうございました。」と話しかけるインタビュアーは極めて稀だ。小泉首相は、解放後すぐに直接、聖職者協会に「ありがとうございます。」と感謝の意を表し、さらに、日本の自衛隊も高遠さんたち民間人と同じように、復興人道支援を行いにきたのであり、決して戦いにきたのではない、ということを声を大にして訴えるべきではなかったのか。誤解は、誠意で解いていかなければならない。今回もそれがなかった。

▼18日の朝、光が丘公園を歩く。目的があった。公園の一角に、5メートル四方の柵がある。無断で入ることが禁じられている草むらのあちこちに咲く黄色いタンポポの花を撮影したかったからだ。この柵の中のタンポポには希少価値がある。日頃、道端で見かけるタンポポのほとんどは帰化種であるセイヨウタンポポである。在来種のカントウタンポポはほとんど見られなくなってしまった。光が丘公園では、ボランティア・グループが柵の中でカントウタンポポを栽培、保護しているのだ。柵の外から望遠レンズで狙った。

▼夜、帰国した3人は皆、下を俯きながら隠れるように消え去った。誘拐現場での恐怖、そして解放後世間が浴びせる冷たい目線のために、今にも押しつぶされそうで痛々しい。
▼高遠さん、郡山さん、井上さん、貴方たちは、「自分一人ではなにもできない、何も変えられない」、とあきらめかけている日本人に、「いや、一人でもできることがある」と応えようとする夢追い人だ。そして貴方たちの心意気に感銘したからこそ、イラクの人々は動き犯人はあなたたちを解放したのです。あなたたちは「自己責任」のもと、自分の力で生還したのです。様々な詮索の海に溺れることはやめて、堂々と胸を張ってほしい。

▼柵の中でタントウタンポポが眩しく咲いている。ほっておけば、絶滅してしまうであろう野花を大切に掬い取り、保護するボランティアの人々は、やがて、タントウタンポポが勢いを取り戻すのをいつまでも夢見ている。たとえ少数でもそんな人間が存在することがこの生命圏の貴重な財産なのだ。
 数多くあるタンポポの花言葉の中から3人に「温かい心」という言葉を贈りたい。

                      2004年4月18日