願はくは 花のしたにて・・・ 3月25日
▼ 「テニスコートの桜を観にこないか」 同期のAの誘いにのって、カメラとラケットを持ってグランドを目指した。Aのことについては、昨年11月25日で紹介した。Aは相変わらず毎週欠かさずそのグランドで朝から夕方まで走り回っている。
▼ グランドに行く途中、ソメイヨシノの可憐な姿にとらわれ、ついついシャッターを押した。そうしてグランドに着いた時は、午後を回っていた。
「おー、来たか」と迎えてくれたAの周りには、同じテレビ局で四半世紀を共にしてきた先輩たちが顔を連ねていた。国際派の記者、ディレクター、カメラマン・・・それぞれが第一線の現場で場を張ってきたつわものだ。まもなく50歳になろうというAがその中で一番若く、そのグループの中でみるとなんとも初々しく見えるから不思議だ。4人がコートに入って試合に興じている間、残りは周りの芝生に寝転がっている。その頭上にソメイヨシノの巨樹があった。これが、いつもAの話に出てくる桜の樹だ。
▼皆を真似て大の字になった。心地良い風が吹いた。何度か通ったメバル釣りを思い出した。カメラマンとして活躍したSさんも横で大の字になっている。広島で勤務していた頃、Sさんに、ある釣り船を紹介してもらったことがある。早朝、船に乗り込み、瀬戸内ののどかな海に出て、船長の厳しい指導を受けながら、ひたすらメバルを釣る。昼前になると、船は静かに牡蠣筏の横に着けられる。牡蠣筏に乗り移って、皆で食事をする。船長が獲れたてのメバルをさばいてくれた。
桜の下でそよぐ風を受けながらSさんがなつかしそうに語った。「牡蠣筏で昼飯食べたら、皆で昼寝する。その時、ほんとうに気持ちのいい風が吹く。それを皆、『天国からのもらい風』と呼ぶんですよ。」 そうだ、そうだ、思い出した、『天国からのもらい風』だった。
▼情けないほど下手くそなテニスだったが、皆、悪い顔せず、付き合ってくれた。汗を流した後、この日の目的の達成にかかった。テニスコート前の桜の樹の下に、Aに寝転がってもらう。そして出来上がった写真に、日頃、Aが口にするお気に入りの西行法師の句を添える。春になったら、その写真と句をこの「草木花便り」に載せようとずいぶん前から計画していた。笑れるかもしれないが、50歳になり、こんなアホなことを考える余裕が少し生まれた。
▼西行は満月の白く光る夜、花盛りの桜のもとで73歳の生涯を終えた。亡くなる年の初め、西行は弟子にこう言っている。「もう間もなく花が開くな。春ごとに桜が咲くと思うだけで、胸が嬉しさで膨らむ。これだけで生は成就している。どうか、私が死んだら俊成殿に伝えてほしい。桜の花が人々の心を浮き立たせる時、その喜びの中に私がいるとな。」(西行花伝 辻邦生作より)
Aが敬愛する西行の辞世の句
願わくは 花のしたにて 春死なん
そのきさらぎの 望月の頃
▼それから数日後の昼休み、近くの公園で皆と花見をした。Aも一緒だった。人間たちの宴を遠巻きに見物するカラスが余りにも多いのには少々驚いたが、のどかで愉快な一時だった。
▼一塵の風が吹いた。桜の花びら一枚が、Aの紙コップに舞い落ちた。
西行花伝の最後のくだりを思い出す。
「 桜の花に陶酔(うかれ)る日、ぜひその花の一枚をわが師、西行に献じてほしい。師は機嫌のいいある日私にこんな歌を示されたからである。
仏には 桜の花を たてまつれ 我が後の世を 人とぶらはば 」
桜の花びらが舞い落ちた紙コップを見て、Aをからかった。「西行みたいだな。」 即座にAは元気な関西弁で切り替えした。「お前、おれを死なす気か。」 まだまだ、枯れてはいないようだ。これから何度もテニスコート横の満開の桜を拝めることだろう。
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