レンゲ畑に大の字 4月4日
レンゲソウ(蓮華草)/ マメ科ゲンゲ属。中国原産、室町時代に日本にわたったと伝えられる。マメ科植物なので、根に根粒菌が寄生している。根粒菌は植物にとっては欠かせない栄養素の窒素を固定し、土を肥やしてくれる。その花の形が蓮を思わせるところから「蓮華草」となった。花言葉は「心が和らぐ」「感化」・・・。
▼ 無秩序に雑草が茂るベランダに昨秋、レンゲソウの種を無造作にばら撒いた。途中、我が家のウサギに食べられてしまった不幸なものも多いが、この春、あちこちの植木鉢から孤高のレンゲソウがひょろひょろとか細い花を咲かせた。花弁に接写レンズで近付きクローズアップサイズで、その紫紅色を画面いっぱいに写そうとする。レンゲソウをこんな形で撮るのは邪道だと思いながら。
▼ 「あなたの植物写真はアップばっかりですね。」とよく言われる。私自身もアップばっかり撮っていかがなものかと思うこともある。理想は大自然の中のほんの一瞬の太陽光に反応する壮大な花園の写真をじっくりとカメラにおさめることだ。そのためには日本各地、そのアングルを求めて旅をしなければならない。撮影ポイントを見つければ、じっくり時間をかけて、光が微笑むのを待ち続けなければならない。そのためには充分な時間がいる。その時間が今はない。時折帰る故郷での草花をのぞいて、ほとんどの植物が東京の公園やコンクリートの道端で通りがかりに撮ったものだ。大ロングにすると味も素っ気もなくなるという、恐怖感がある。だから限られたフイルムを有効に使うためについつい接写サイズの映像に向ってしまう。
▼もし、たっぷり時間をかけて、大ロングの風景写真に挑むなら、まずめざす場所はどこまでも続くレンゲ畑になるだろう。、春の陽を受けて、一面に咲きほこる紫紅色の花群れが風に揺れて波打つ一瞬をカメラにおさめたい。昭和30年はじめ、小学校入学前、故郷の家の前には田んぼが広がっていた。稲刈りが終わると田んぼにレンゲソウの種子が蒔かれる。レンゲソウの根に共生する根粒菌で窒素を作り出し、土を肥やすための知恵である。どこの農家もレンゲソウの種を蒔いた。
▼春、田んぼは一面、レンゲソウの波に揺れていた。私の人生で最初に印象的な花との出会いはこのレンゲソウの花群れではないだろうか。いや、この後もこれほど鮮烈なイメージとともに頭の中に焼きこまれた風景はない。
▼昭和31年に夫婦で小さな本屋を始めた父と母は朝早く、商店街の店に出て行った。幼い私と弟と二人、鍵っ子で、その面倒を近所のNさん一家が見てくれた。いつも編み物をするNさんのお母さんの姿、おやつの入った缶のデザインまで奇妙に忘れない。Nさんの家には二人の姉妹がいた。姉のKさんは私と同じ年で、私たち兄弟はその姉妹といつも路地をかけまわり田んぼに入って遊んだ。その思い出の中にどこまでもつづくレンゲ畑がある。春、レンゲの園に足を踏み入れ、4人並んでレンゲ畑の中で大の字になった。その時の爽快感が今も背中の方に残っていて、レンゲをみるとぞくっとした感覚と共に湧き上がってくる。
▼4人が駆けた路地、大人になって帰郷するたびに何度も再訪したが、田んぼは年々消えてゆき、残されたほんの小さな田んぼにもレンゲソウなど育てているところはない。すべて効率の中にまみれて、プロセスが削除されていった。
▼時間ができて、花の大俯瞰を求めて各地を歩くことができたなら、まずあのころのレンゲ畑を捜し求めたい。そして、その花園の中に踏み込み、大の字になって爽快な春陽を思う存分受け止めてみたい。
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