曇天に咲く孤高のひまわり 7月19日
梅雨の終わり、曇天のひまわり畑で、たった一本のひまわりが、強い南風に身を傾けながら、わずかばかりの日差しに向かいそのアンテナを広げているのを見た。この孤高のひまわりを、今、旅立とうとする君に贈りたい。
▼会社を辞める、という覚悟を君が変えそうもないと悟った頃から、“贈る花の風景”を何にしようか考えていた。通勤途中の公園に咲く紅い立葵にしようかと一度は決めて何回もシャッターを切ったが、出来上がった写真はどうもしっくりこなかった。大望・野心を花言葉に持つ立葵は、今回は自分の出番ではない、と云っているように、君の決断に呼応するオーラを発してはこなかった。
▼人生の局面において、本当に心を許しあえ、しかも単なるアト・ホームなサロンに安住することなく常に自分を戦場の緊迫の中に放り出してくれる真の戦友に何人巡りあえるのだろうか。人生40歳代後半、地方勤務を終え、久しぶりに戻ってきた東京の職場は家族的で穏やかなサロンとなり居心地は良くなってはいたが、不測の事態が起こるとナヨナヨと怖じ気づき萎縮してしまうひ弱な空間に見えた。
▼その中でまわりを見回すと、孤独になることを恐れずイライラと現状の矛盾を口走り無理難題の中に飛び込む連中が、ポツリポツリといた。その一人が君だった。ご両親は広島で被爆した。母方の祖父は反核運動の旗手となり母は広島の街を再生させようと大学で建築学を学んだ。女性としてはじめての入学であった。そして、卒業後、最短距離で一級建築士になった。その遺伝子を引き継いだ君は、何事にも一途だった。
「僕は昔から女性が好きになったとき、自分の胸にしまったままということが一度もないのです。必ず告白してしまう。そしてだいたい沈没する。若いときは失恋の嵐でした。」
印象的な君の言葉だ。恋愛をする時の行動様式はその人の人生を凝縮している。彼女が眼差しを自分に向けるように狡猾に細かくシナリオを紡ぐものは、彼女を獲得することには成功するが多くの仲間を傷つける。一方、君のような告白玉砕型の行動をとるものは自分を傷つけるが回りに力を与える。私はこの行動様式で恋愛に飛び込み玉砕しつづけた多くの友の姿を忘れない。
▼この3年間、君と紡いだ無理難題の仕事の数々は決して忘れることはないだろう。喧嘩になって大声でぶつかりあっても、気高い時間を過ごしているという充足感を君は与えてくれた。まわりからもその一徹な仕事ぶりが大きな評価を得始めた矢先に君は突然の退職を申し出て、私はもちろんまわりの人々を仰天させた。君はこう書きよこした。
「若い頃、失恋の嵐だった私が、思いを相手に告白しても、結果が出せたような気がするのが、この職場での仕事でした。今後はまたあの失恋時代に戻るかも知れません。でもこればっかりはやってみないとわからないと、今後も告白を続けると思います。」
▼ 君は奥さんと幼い息子さんと共にカナダに旅立つ。35歳を過ぎた夫の転身宣言に妻は黙って従った。おそらくこの人はいつかそう言出すに違いないと覚悟していたのだろう。カナダ・バンクーバー、今、空っぽの新居の前に立つ3人の家族のために、どんな花を贈ればいいのだろう。
ふと、輝く太陽の光を一身に浴びてスクッと前に向かうひまわりが100万本咲く畑が浮かんだ。よし、これにしよう!休日の中央自動車道をとばして南アルプス山麓を目指した。
▼2時間かかってたどりつき、その目安のひまわり畑を目の前にして唖然とした。そして自分の愚かさにうんざりした。東京は茹だるような猛暑だったため、すっかり盛夏の気分になってしまったが、山麓はまだ梅雨空で広大なひまわり畑は一面緑で花はなかった。いつも自分の独りよがりがとんでもないお笑い草になってしまう。何度同じ過ちを繰り返すのだろう。ほんとうに愚かな男だ。そう思って農道から畑を見回していると、遠くに一本黄色い光点が見えた。それはまちがいなくひまわりの花だった。曇天の梅雨空、100万本のひまわりがまだ眠りから覚めていない中、たった一本のひまわりが、その花をいっぱいに開きわずかばかりの光をかぎ分けるように、強風の中に立ち上がっていた。感激の中でゆっくりとシャッターを押した。君への感謝をこめた。
▼曇天に咲く、孤高のひまわりの花。その近くに来て再び感激した。一本のひまわりの回りに数個のひまわりの蕾があった。それらは頭上に聳える先駆けのひまわりの花に追いつこうと堅い萼を押し破りその黄色い翼をひろげようと悪戦苦闘していた。まるでヒヨコが殻を破り生まれ出でようとしているかのようだった。不思議なことに、その一本のひまわりの花の下にこうした誕生のカオスがあったが、そのほかの場所はまるで何事もないかのような緑の殻の中にある。これは大変は場面に遭遇したのだと思った。100万本のひまわりは一斉に花開くのではなく、どこかに最初の一撃がある。緑のサロンから抜け出して咲く役割を担った一本のひまわりは孤独な戦いに身をゆだねるのだ。しかし、スイッチはそこにある。そこから波紋が広がるように次々と花は開き、圧倒するエネルギーを発信する100万本のひまわりの光源が現出する。
▼しばらく、その孤高のひまわりの前にいた。そしていつか君が言った言葉をかみしめていた。
「一人相撲でもいいではないですか。暴走しましょうよ。」
|