汗に緑風      81

レンゲショウマ(蓮華升麻)/キンポウゲ科レンゲショウマ属。花が蓮華(ハスの花)に似ていて、葉がショウマの葉に似ているところから名付けられた。 学名Anemonopsisは、ギリシャ語で「アネモネに似た」という意味
 英名は、フォールス・アネモネ。
花言葉は、伝統美

▼暑い。地球上、異常気象のニュースに溢れている。とにかく今年の東京は暑すぎる。この異様な熱風から逃れて、森の中の緑陰へ駆け込みたい。

▼その森の中を、ひんやりとする緑風が通り過ぎる。風の気配にはっとしたように一瞬その緑の茂みに光が差し込み、小さなレンゲショウマの白い花弁達が浮かび上がった。耳を澄ませば、チリンチリンとかすかな音が聞こえてきそうだ。

きょうも、憂うつでやっかいな難問だらけのコンクリートのビルディングに向かう、誠実な男達のために、緑陰に咲く小さな花たちが涼風に誘われてさわさわ揺れている。そのほんの一瞬の緑風を、汗かく酷暑のビル街に持ち帰ることにしよう。

▼「あと3年でパンパンや」。
汗をかきかき雑踏の隙間をくぐり抜けながら、10歳年上、今年61歳の先輩は言った。いくら才能に溢れ第一線を走り続ける者も我が社では最長63歳で会社を去って一人になる。まだまだ元気な先輩達はみな自分の居場所を探しあぐね、なんだか大変だという。
「60歳代はやっかいだよ。」 雑踏の中に響いた。そう言いながら先輩は自分よりずっと軽快なフットワークで人混みの中を泳いでいく。先輩、待ってください。ついていくのが大変だ。その軽やかな後ろ姿に緑風が通り過ぎた。
▼わが団地の管理組合が燃えている。猛暑の中、理事長先頭にゴミ集め、放置自転車の撤去、団地保険総点検,新テレビ受信システムの実施・・・と週末になると、あらたなプロジェクトが発足したように次々と懸案に立ち向かう男達。多くが平日は都心に通う企業戦士だ。総務担当となった私は、皆の熱いエネルギーに圧倒されながらついていくのが心地よい。皆の牽引役の一人,Aさんの言葉、「ここにきて15年、仕事ばっかりで地域のことなにもできなかった。今、恩返しだ。」そのAさんの没頭ぶりには頭が下がる。「やっと家のことに目を向けてくれたと思ったら、これではもう一つの仕事が増えたようなものね。」 奥さんのため息を尻目に、休みのたびに企業戦士達が団地の集会所に集まってくる。結局、家族のことは二の次になってしまう。
 「団地を花の園にしたかったんだ。」 Aさんに誘われてホームセンターでプランター数個と赤桃白の日々草を買い、ゴミ置き場の前に置いた。その日以来、毎朝、出勤前に水をやり続けているAさんの姿は団地を駆け抜ける緑風だ。
▼少女買春で訴えられ、エリート人生を棒に振ったある高級官僚の話。省内の権力抗争にはめられた、と男は訴えるが、誰も彼の言葉に耳をかさなかった。唯一彼を信じてくれたのは母と事件の二年前に再婚した妻だった。妻は女医だ。組織というよりどころを失った男は、果たしてこれからどう生きていこうか。妻に相談した。
「いまから弁護士か医者をめざそうと思うが、どちらがいいだろうか。」 妻は即答した。「医者をばかにしたらだめよ。50歳にもなって目は霞む、手は震える人に医者など勤まりますか。弁護士になりなさい。」男は妻の言うとおり、弁護士を目指した。司法試験を目指して1年間、家に籠もって勉強したが、若い頃と全く違い何も頭に入らなかった。結局、単答式試験にも落ちた。男は妻に相談した。どうすればいいのか。妻は即答した。「あなた、めがねをかえなさい。年にあった老眼用のめがねにしなさい。」妻の忠告に従って、男は新しい眼鏡を買った。すると、すべてがクリアに頭の中に飛び込んでくるようになった。集中できるようになった。男は次の年、司法試験に合格した・・・・・社員食堂で、「いい話でしょ。」と友人の話を披露してくれた同僚のB君の笑顔がさわやかだった。無事、弁護士になった男はその後、さらに厳しい試練にさらされているという。前科のある男を推薦してくれる弁護士も雇ってくれる弁護士もいない。開業を目指して、男は今も孤軍奮闘しているのだという。

▼青春時代はあんなに自信に満ちて輝いていた者達は、それから、皆、多かれ少なかれつまらぬ運命に翻弄されっちまい、今は汗だくだくで日々の時間の流れの中を無様にもがきながら青息吐息だ。そんな猛暑の中の中高年達にそっと近づき、耳元でレンゲショウマの白花をならしながら、微笑んでくれる緑風天使はいないものだろうか。

                      2004年8月1日