原点   

     





















スイレン(睡蓮)/スイレン科スイレン属。スイレンは熱帯から温帯にかけおよそ50種類が分布。日本にはヒツジグサが自生する。未(ひつじ)の刻(午後2時)に花が咲くことからこの名前がついた。また花は時間がくると眠るように閉じることから睡蓮という名前がついた。花言葉は「信仰」「清純な心」
 ▼ ヒロシマ原爆忌。広島平和記念式典。今年の秋葉市長の平和宣言は核廃絶への運動報告に終始した。学者らしい極めてクールな宣言だったが、炎天下、目の前に集まった高齢の被爆者が取り残されたような寂寥感に陥ったのは私だけだろうか。
▼ 夜9時からのNHKスペシャル「復興 〜原子野から立ち上がった人々〜」。59年前、廃墟となった広島から再生に立ち上がった人々の軌跡を追った労作であった。被爆直後から数年、人々がどう立ちあがったかという記録はほとんどない。それぞれの被爆者の記憶の中に封印されているのだが、その被爆者たちも高齢となり軌跡を体系づけて整理することは大変な作業であったにちがいない。今年、担当したディレクターは広島局の横井秀信(29歳)、今井洋介(27歳)の若手である。遠くイラク、アフガンの人々の復興の日々に思いを馳せて、駐留軍の支援を全く得られず全くの手探りで自力更正した広島市民の姿を追った。その努力を承知したうえであえて言えば、不条理な無差別殺戮にさらされた人間の怨念と怒りをもっとぶつけてほしかった。
▼そう思って夜の職場で余韻に慕っていると、大ドキュメンタリストとして名を馳せているA先輩が血相を変えて部屋に入ってきて、今終わった番組の評論を延々と始めた。彼の論調は、総じて言えば、この世界情勢の中で、広島を甘い復興の物語として描くという浅い知恵はけしからん。復興なら別に広島で描く必要はない、核兵器の惨禍にさらされヒロシマが問いかけている根本を全く消化ぜずに浅はかなロマンティシズムに酔っているだけだ。制作者が何にこだわっているのかわからない愚作である。これでは世界には通用しない。海外の人がこの番組を観たらなんのことだかわからないはずだ・・・・・。どこまでも続く批判を聞きながら、今朝、平和宣言を聞いた時と同じような寂寥感に襲われた。
▼毎年恒例の8月6日のNHKスペシャルは地元の広島局のディレクターの手によって作られる。彼らが毎日のように被爆者の声に耳を傾ける環境にあり、その日常の延長線上で番組が生み出されるという土壌を大切にしたいからであろう。そして、この番組を手がけることで若いディレクターは大きく育てられてゆく。
▼確かに「核兵器と人間」というテーマは東京でも論を駆使し資料映像を集めて編集室の緻密な作業で紡ぐことはできるだろう。そして作品性の高い番組が送り出されそれは国際的にも高い評価を得るのだろう。しかし、そのフローチャートの中で何かが切り捨てされていくような気がしてならない。それでテレビは本当に「惨禍」「怨念」、さらにそれを乗り越えて「生き抜く決意」にいたる人間の尊厳に迫れるのか。目の前で頭脳明快に言葉を送り出す先輩と、流れるように世界の核状況を語り核廃絶に向かうヒロシマの運動プランを並べる秋葉市長の姿が重なった。

▼ 57年前の昭和22年8月6日、第一回の平和式典で、浜井信三広島市長が初めて平和宣言をおこなった。GHQの検閲の目をかいくぐりいかに広島市民が言葉の一つ一つを書き込んでいったかを「復興」で初めて知った。(※NHKスペシャル「復興 〜原子野から立ち上がった人々〜」をごらんになりたい方はメールください。お貸しします)

  第一回の平和宣言の全文を書き写す。

 本日、歴史的な原子爆弾投下二周年の記念日を迎え、われら広島市民は、いまこの広場において厳粛な平和祭の式典をあげ、われら市民の熱烈なる平和愛好の信念を披瀝し、もって平和確立への決意を新たにしようと思う。

 昭和二十年八月六日は、広島市民にとりまことに忘れることのできない日であった。この日投下された世界最初の原子爆弾によって、わが広島市は一瞬にして壊滅に帰し、十数万の同胞はその尊き生命を失い、広島は暗黒の死の都と化した。しかしながらこれが戦争の継続を断念させ、不幸な戦いを終結に導く要因となったことは不幸中の幸いであった。この意味において、八月六日は世界平和を招へいせしめる機縁をつくったものとして、世界人類に記憶されなければならない。われらがこの日を記念して無限の苦悩を抱きつつ、厳粛な平和祭を執行しようとするのはこのためである。けだし戦争の惨苦と罪悪とを最も深く体験し自覚するもののみが、苦悩の極地として戦争を根本的に否定し、最も熱烈に平和を希求するものであるから。

 またこの恐るべき兵器は恒久平和の必然性と真実性とを確認せしめる「思想革命」を招来せしめた。すなわちこれによって原子力をもって争う世界戦争は、人類の破滅と文明の終末を意味するという真実を、世界の人々に明白に認識せしめたからである。これこそ絶対平和の創造であり、新しい人生と世界の誕生を物語るものでなくてはならない。われらは何か大事にあった場合、深い反省と熟慮を加えることによって、ここから新しい真理と道を発見し、新しい生活を営むことを知っている。しかりとすれば、今われらがなすべきことは全身全霊をあげて平和への道を邁進し、もって新しい文明へのさきがけとなることでなければならない。

 この地上より戦争の恐怖と罪悪とを抹殺して真実の平和を確立しよう。
 永遠に戦争を放棄して世界平和の理想を地上に建設しよう。
 ここに平和塔の下、われらはかくの如く平和を宣言する。
  
 昭和二十二年八月六日

                   広島平和祭協会長  広島市長  浜井信三



▼夏の朝、寺の境内の片隅で睡蓮の花を見つけた。その満開の花を撮影した後、小雨の降る夕刻に再訪してみた。そして、その花弁が閉じて眠りについているのをカメラにおさめ、「睡蓮」の由来を確認する。規則正しい惑星のリズムの中で万物は息づき循環している。常軌を逸した破滅行為もやがてはこの循環の中に吸い込まれて無に帰すのだ。
                      2004年8月6日