「怜美が最後まで友達と信じていた子に気持をぶつけることの切なさが、私を苦しめるのです」                    825日

     

▼日本中がオリンピックに熱狂する昨日、長崎家裁佐世保支部で一人の父親が意見陳述した。娘の怜美さん(12歳)が友人に切られて殺害されるという地獄の中から身をよじりながら凛と立ちあがろうとする御手洗恭二さん(46歳)。新聞記者の御手洗氏が半月かけてあぶりだした言葉が重い。御手洗氏の意見陳述を書き写す。
 ☆☆☆ 
相手の女児
事件が起きた時から、ずっと一つのことが頭にこびりついています。怜美はなぜ彼女に殺されなければならなかったのか、ということです。
 なぜ、そこにこだわるのか。それは、私が彼女と何度か会っており、彼女と怜美は友達だったと思っていたからです。私の印象に残る出来事をいくつか挙げます。
 一度は4年生の時、学校の総合学習で怜美と彼女、他に数人の女子が同じグループになりました。佐世保のことを調べるというので、私の車で弓張岳と烏帽子岳を連れて回りました。その時は、初対面の私と物怖(お)じせず話し、はきはきした子、猫が好きな女の子という印象でした。
 二度目は、昨年の秋、怜美がバスケットボール部を辞めようかと迷っていた時です。一人で退部を切り出せないと言うので私が放課後、学校に連れて行き退部を申し出ようと決めました。いざ、学校に行くと部活中の子の中で、彼女が一番に怜美に気がつき「さっちゃん、よく来たねぇ」と声をかけてくれました(結局、この日は退部を言えず、その後、私が電話で部の保護者代表の方に退部を申し出ました)。あの時の彼女の笑顔、それを見た怜美のうれしそうな顔は忘れられません。
 そして今年、彼女が私の家に来て二人でパソコンをしていたことがありました。時期は思い出せません。その時、彼女が椅子に座らず膝(ひざ)立ちで怜美の横にいたので、私が椅子を持っていってあげました。その時の彼女のはにかんだ笑顔が印象に残っています。その日は午後4時過ぎに、帰宅したようです(というのは、私が2階の事務室から3階の自宅に4時過ぎに一度上がった時には、もういませんでした)。

 これ以外にも、怜美からよく彼女の話を聞かされていました。数少ない接点しかありませんが、私の彼女に対する印象は悪いものではありませんでした。でも人間は分からないものです。今度のことで痛感しました。友人の一人と思っていただけに、私の衝撃はより大きかったのです。

 事件後、交換日記やメール、警察への供述などを読みました。知らないことが多くて戸惑うのですが、内容は私の目から見て、そんなに深刻なものに思えません。

 人間ですから、感情の行き違いや思い違いが憎しみに変わることは珍しくありません。「いなくなっちゃえ」と思うこともあるでしょう。でも実際に人を殺すということはたやすいことではありません。その一線を越えるほどの問題が二人の間にあったとは、どうしても理解できないのです。

審判・処分への思い
 少年法が更生を趣旨としていることは、頭では理解しています。ですが「取り返しのつかないこと」をした人間は本当に更生できるのでしょうか。そして、更生させることが被害者にどのような意味を持つのでしょうか。

 相手が成人であれば「極刑」を望むでしょう。少年であっても見知らぬ相手ならば、素直に同じ言葉を言えます。しかし彼女は、諍(いさか)いはあったかもしれないけれど怜美が最後まで友達と信じ、「殺される」なんて露ほど考えていなかった同級生です。その子に気持ちをぶつけることの切なさが、私を苦しめるのです。

 「取り返しのつかないこと」という言葉を普段の生活で実感することはありません。「やり直しができる」と、心の底ではみんな思っているからです。私もそうでした。でも、その言葉は本当にありました。怜美がこんな形で私の前からいなくなることは、私の頭の中にはありませんでした。だから、相手やその親からの「謝罪」や「償い」という言葉は、私にとって何の意味もありません。彼女と親に言いたいことは「怜美を私に返してほしい」だけなのです。

 それでも裁判所にお願いがあります。

 私は、彼女の心の奥底で何があったのかを知りたいのです。彼女自身が今、語る言葉を持っているかは分かりません。たわいもない理由など聞きたくありません。でも、彼女が人の命を奪うことの意味と、それがもたらす様々な悲劇を認識していたのか、知りたいのです。そのためにも、審判のために各機関が示した資料、調査で明らかになった内容、精神鑑定の結果などを可能な限り開示してほしいと思います。

 そして処分は、彼女に自分がしたことの重大さをきちんと受け止めさせるために、法が、社会が、大人が取りうる、あらゆる手立てを講じられるような内容にしていただきたいと思います。例えば、処分後の彼女の状況に関する情報を定期的に報告してほしいですし、彼女が社会復帰する際には審判に関係した裁判官や調査官の方にもその判断を確認していただきたい。

最後に

怜美は幼い時から絵を描くのが好きでした。最近は小説の登場人物みたいな絵が多いのですが、昔はよく家族を描いていました。手元に「みんな かぞく」というタイトルの絵が2枚残っています。家族5人が微(ほほ)笑んだり、すまし顔で並んでいる絵です。今、私の心の中の2枚の絵、そして私たち家族の気持ちは、カッターで切り裂かれてしまいました。


  裁判所の方々には、遺族の悲しみ、苦しみを汲(く)み取っていただければ幸いです。以上

 御手洗恭二

毎日新聞 2004年8月25日 東京朝刊

                      2004年8月25日