路傍の生け花 9月5日
ハナトラノオ(花虎尾)/シソ科ハナトラノオ属。原産地:アメリカ中・南部、メキシコ北部 花が茎の先端に長い総状花序につくところがどこか虎の尾に似ているのでつけられた。 花言葉は、十分望みを達した・達成感。
▼その朝の気分に応じて、いくつかある通勤路の中から気ままににひとつ選ぶことにしている。そのひとつ、地下鉄の都庁前駅から地上にでて幾何学模様の都庁のビル陰をまっすぐ抜ける路の楽しみは、高速道路に入る手前のガード下にダンボールを組み立てて暮らす人々の長屋を通り抜けることだ。
▼ある日、この長屋の一角に、大きなダンボールの真ん中を綺麗に切り抜いて花を生けた箱が登場した。額縁つきのしゃれた花台だな、と感心していたが、あとで長屋の住民に聞くと、それは花台ではなく仏壇だった。ダンボールの家の中で犬と一緒に暮らす人がいた。その愛犬がある日、トラックにひかれて亡くなった。家人は愛犬の暮らしていたダンボールを切り抜いて仏壇をつくった。そこに路上の花が生けられた。
▼その朝、久しぶりに長屋の様子を知りたくなった。熱い日差しに、ビルの幾何学模様がまぶしい。都庁下の横断歩道を渡ると向こうにポッカリと黒い陰が見える。長屋のあるガード下には陽は差し込まない。二ヶ月ぶりのダンボール長屋。いくつかのダンボールは消えていたが、仏壇はまだ残っていた。仏壇が登場して一年になるだろうか、中には線香の束が置かれていた。手前にノートがぶら下げてあったが何も書かれていない。
▼この長屋の暮らしの中に、規則正しいリズムを発見するとほっとする。なにもかもいやになって逃げ出し一人で暮らし始めた人々はしばらく自暴自棄になり街を彷徨ったあと、再びお日様が昇って沈むのに歩調を合わせてダンボールの中で規則正しい生活をはじめる。その様子をみると長閑な空気が体内に染みいってくるようで、元気になる。横浜山下公園の家人は、中華街で拾い集めた残り酒を銘柄別に少づつ仕分けしてきちんと並べていた。新宿西口のダンボールの家の中には拾い集めてきた文庫本が綺麗に並んでいた。体の中の新陳代謝が規則正しく進む限り、生きとし生けるものはその暮らしの中にも規則正しいリズムをつくりあげてゆく。
▼長屋の住民達は公園をまわっているのだろうか、出払っていた。その留守宅の前、ダンボールの上に置かれたペットボトルに目がいった。ペットボトルをくりぬき横にして水を入れる。そこに剣山を置き、ハナトラノオの花が活けられていた。公園の草むらに咲く清楚な桃色を家人は切り取り家に持ち帰った。そのゆとりに心が和んだ。
▼それから数日後の日曜日、ダンボール長屋にでかけた。その路傍の生け花をカメラにおさめておきたいと思ったからだ。その前に来ると、家人は隣の住人とオセロゲームに熱中していた。ここにも日曜日がある。通行人の数が減る都心の日曜日は、彼らにとっても休日だ。
「花は枯れるまで活けておく。」 家人は言った。これからこの路傍の生け花展を折節カメラにおさめることの了解を得た。
▼月曜日の朝、再び、都庁前で下車し、ガード下を目指す。家人達はみな出払っていた。平日の仕事に出かけているのだ。家の前にはペットボトルの生け花が置かれているだけだった。ハナトラノオの横に新しく小さな紅い花弁がいくつか添えられていた。
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