そよ風の吹く家    9月9






















▼瀬戸内の周防灘沿いの町は、国東半島や四国がバリアになるのか、私が幼い頃は台風の被害に晒されることは少なかったように記憶している。 それが、ここ10年、何度も大型台風の直撃を受けて緊急事態だ。塩害のため茶色く枯れはてた桜や梅や松の木々、バブル崩壊後、シャッター通りと化した商店街の屋根が吹っ飛んだが修復する気力も町にはない。無策の果てに荒れ果てた街にとどめを刺すようにかつてない大型台風が何度も何度も同じコースを辿り荒れ狂う。

▼築35年になる故郷の家が台風の直撃を受け、 窓ガラスは飛ぶは・・・雨漏りはするは・・・てんやわんやだという知らせが入る。すぐにとんで帰りたいがそれもままならず、もどかしさだけが残り、各地の被害映像を見ている。
▼故郷の父が一番輝いていたのは、昭和30年代の後半から40年代にかけてであろう。裸一貫で小さな書店を立ち上げた父は、東京オリンピックの頃、店を軌道に乗せ、高度成長の波に乗り、店舗を拡大して街で有数の経営者へと駆け上っていく。その絶頂の頃、父は念願の家を建てた。毎日、店を閉じた後、父は私たち子供を連れて、建設途上の家を訪ねた,懐中電灯で作りかけの骨組みをひとつひとつ真剣な眼差しで点検していった。棟上げ式には父と共に屋根枠の上にのぼり、餅をまいた。私は気恥ずかしかったが、父にとってそれは一世一代の晴れ舞台だった。
▼父達、戦地から裸一貫で引き揚げてきた男達が思い思いの看板を掲げ、輝いていたあの商店街はどうしてこんなにもさびれてしまったのだろうか。次々と荒れ狂う大型台風が商店街のさびれた看板を吹き飛ばしていく風景が、切実な何者かになって私を責め立てる。商店街の店主達の晩年はあまりにも切ない。この10年の嵐は、男達の自尊心をずたずたに引き裂いてしまったようにわたしには見える。
▼父が人生の最盛期に建てた家で私たちは育ち巣立っていった。故郷の父は、その後、バブルの崩壊後の複雑に絡まり合った欲得の餌食になって多くを失い、この古びた一軒家だけが残った。
▼この一年、父は大病と格闘し入退院を繰り返している。春、帰省した私は、実家の二階の部屋に寝そべっていた。子供のころ私が使っていた部屋だ。その部屋の大きな窓にはいつも心地よい瀬戸のそよ風が通り過ぎてゆく。昔と変わらないその風に愛撫されながら夢心地でいると、後ろのベッドで寝ていた父が呟いた。「この風は、お前達がいくらカネを積んでも買えん。」 その言葉に私は、裸一貫でたたき上げ自分の家を建てた父の自尊心を感じる。そよ風の心地よい家は、父の人生の支柱となってそこにありつづけている。
▼大型台風に晒され、水浸しになり、商店街を茶色くさびれた看板が狂ったように飛び跳ねるニュース映像をみた瞬間、実家の二階でそよかぜに包まれて父が発した言葉が、頭をよぎった。

                      2004年9月9日