スニーカーの天使たち 10月18日
テッポウユリ(鉄砲百合)/ユリ科ユリ属。別名はイーストリリイ。世界に誇る日本原産種。屋久島から南の琉球諸島、明治以前は琉球ユリ、筒長ユリなどの名前でごく一部に知られるだけであったが、明治初めの万博や園芸博に出品され、たちまち人気になり世界中に広まった。本来は5月〜6月に咲くが改良され一年中見ることができる。花言葉は、あなたは正直・純潔・甘美・乙女の純潔
▼10日間の休みをとって父の病室に泊まった。放射線治療の最中、感染症にかかった父はそのまま大学病院の放射線病棟で連日苦闘している。
▼この病棟には15人の看護士がいる。初めて病棟を訪れた時、ちょっとびっくりした。看護士たちはみんな黒いスラックスにスニーカー、実に溌剌と廊下を行き来していた。思わせぶりな“白衣の天使”というイメージを払拭させる、その小気味よい井出達に健康的なエネルギーを感じ、絶望的な境地にいた私たち家族は救われた思いになった。
▼スニーカーの看護士の半数は二十歳前半の女性達だ。短大を卒業して間のない彼女達は、いきなり死の淵で壮絶な闘いを続ける患者と向き合うことを強いられる。それは大変なストレスであろう。なのに彼女たちは実にさわやかに父の前に現れてくれる。その気丈な態度に、意気消沈している家族ははっとさせられる。
▼看護士の中で、とりわけ父の母の心を掴んだのはKさんだった。「Sさーん。」病室の入口のカーテンからひょっこりと満面の笑顔を差し出して入ってくるKさんは舞台に登場する軽やかな役者のようなオーラがある。不思議なことにその笑顔を見ると、それまで苦痛に顔を歪めていた父もほっとした表情を見せる。時に父はKさんに冗談を言っているから驚いてしまう。二十歳を過ぎたばかりの若者が人生の最終局面に入り苦痛に歪む八十歳の老人を大きく包みこんでいるのだからあっぱれというしかない。彼女たちは、経験のなさや自信のなさを乗り越えるには自分の若さと笑顔しかないのだと言い聞かせながら、意を決して病室のカーテンを開ける。そのカーテンの向こうには、それぞれ違ったストーリーの壮絶な地獄絵がある。その舞台にあがるには笑顔というメークは欠かせないのだ。
▼ Kさんが母に「奥さん、ストーマのつけかた教えてください。」と申し出る。母はうれしそうに孫のようなKさんに自分流の方法を披露する。一年前、大腸下を切除した父は、ストーマと呼ばれる人工肛門を装着して生活することを強いられた。当初、自分で付け替えをおこなっていた父がおかしくなったのは、このストーマと格闘を始めて半年後くらいからだ。自分の汚物を前にぶら下げて生活するほどの屈辱はなかったのだろう。父の心の混乱は、腹の前にぶら下がる逃げることのできない現実を見るたびに度を深めていった。そんな姿を気丈な母は叱咤激励しながら毎日、テキパキとストーマの付け替えを繰り返してきた。その悩みの日々を経過してきた夫婦にとって、「ストーマのつけかた、教えてください。」と謙虚に歩み寄ってくれるそのKさんの存在はどんなに心を和らげてくれたことか、腹のあたりで聞こえてくる嬉々とした母の言葉と「なるほど」というKさんの明るい相づちに、父の表情はとても和やかになっている。この穏やかさが本来の父の姿だった、と思い出す。
▼看護士の多くが意識して笑顔で患者に接しようとしてくれる中、気になる看護士がいた。患者にまったく媚びを売ることをせず無愛想な表情で処置をする。ただし、その仕事ぶりは的確でスピーディだ。かなりのベテランにちがいないが、周りが陽性な空気を醸し出しているだけに、彼女の存在はますます異質なものに見える。無愛想な看護士、Aさんは父にも笑顔をみせることも一切なかった。
▼父の激しい精神的混乱は、抗ガン剤を患部に直接投与するためにおこなわれたカテーテル処置の夜から顕著になった。父は、その夜、トイレに行こうとしてベッドから落ち混乱した。その際、カテーテルを汚れた手で触ったことが感染症の始まる主因だということになっているが果たしてそうか。闇の病室で、血まみれになって呆然とベッドに正座していたという父の姿を想像するたびに引き裂かれる思いになる。一体、この夜、何が起こったのか?それ以前から父は深夜、どんな奇行に走り、その都度、どんな処置を受けていたのか、私が10日間、病棟に泊まり込むことを決めたのは、この疑問を明らかにしたかったからだ。
▼父は深夜たびたび「丸裸にされる。」とおびえた。それは、何を意味するのか?これまで全く語彙としては存在しなかった「丸裸にされる」という切実な訴えはどこからきているのか。二日目の朝、その回答となるひとつの場面に遭遇した。看護士Aさんと出会ったのはその時だった。唐突に病室に入ってきた彼女は「Sさん」と言葉をかけつつも、いきなり、父の寝間着と肌着をひらき、まったくの裸身にしたあと、傷口の消毒作業を、手際はいいものの、その扱いはじつに乱暴に見えた。なぜ、いきなり、父の肉体を必要ない部分も含めて露わにしなければならないのか。作業はしにくいかもしれないが、父の恥じらいを配慮して少しずつ、その場、その場で父の訴えに耳を傾けながら、作業を進めてほしかった。そのやり方は患者に全身麻酔をかけた外科手術のそれと似ている。その作業の間中、父は混乱して暴れた。暴れれば暴れるほど、早く終えようとばかりますます作業は素早く進められる。この風景を見て、「丸裸にされる。」という父の訴えの意味がわかるような気がした。
▼その夜、カテーテルの管を引きちぎりベッドを血まみれにした父はしばらく呆然として闇の中にいた。この病棟の泊まりの看護士は2名である。20名の入院患者をたった2人でカバーするのは大変である。父の異常が発見されるまでには時間がかかった。そして定期巡回の際、その尋常でない姿を発見されると父は、すぐに寝間着を剥ぎ取られた。速やかに消毒する必要があったからだ。医療行為としては当然である。しかし、その騒然とした動きを感じ取り父の混乱は頂点に達したにちがいない。看護士は電話で医師の指示を受け精神安定剤の注射でその混乱を抑えようとした。その時の騒然が決定的なものとなって父の心に刻まれている。思えば一年前の手術以来、丸裸にされてベッドに拘束されると常にとんでもないことばかり起こった。「丸裸にされる。」という怯えの意味が身にしみる。もう父を一人にしない。
▼A看護士は、Kさんたち若い看護士からは尊敬されていた。その処置の技術が優れているからだろう。しかし、その無愛想な態度は家族から見ると不安になる。今は笑顔を絶やさない若き看護士達もやがて技術を手に入れると笑顔というよりどころを捨ててしまうのだろうか。その時、目の前にいる患者という存在まで見えなくなってしまうのではないだろうか。家族にとっては、てきぱきと短時間で作業を終了するベテランよりも、母に相談しながら父と冗談を交わしながらおずおずと時間をかける若者のほうがずっと安心できる。
▼24歳の看護士、Kさんが傷の手当ての途中、露わになりかけた父のストーマにそっとバスタオルをかけた。それを見ていた母が静かに微笑んだ。その静かな瞬間に胸が熱くなった。
▼放射線治療により体内の免疫機能のバランスが崩れた。狙われた患部への効果はてきめんで腫瘍はその勢いを失った。しかし、同時に放射線は腸管付近の免疫細胞を傷つけた。それを狙ったかのようにMRSAと緑膿菌が交互に増殖を始めた。
▼感染により、父の体内は一気に異常事態になった。血小板が血管の至る所で滞り、梗塞状態になっている、それが何らかの形で脳に影響を与え父の精神状態を尋常なものでなくしている。CTやMRIにはその様子は像としてでていないため、診断は曖昧にされているが右半身の浮腫やしびれは明らかに脳梗塞の徴候である。
▼あの夜、父に何があったのか、どういう騒動があったのか記録にはなっていない。それをすぐに医療不信に結びつけるほど短絡思考をするつもりはないしそんな余裕も今はない。しかし、死の淵を彷徨う諸人を相手にする医療現場の従事者は、経験が豊かになればなるほど、その感覚の何かが燃え尽きてしまうことを肝に銘じなければならない。それはマスコミという尋常でない世界に身を置く自分にもそのまま投げかけられている。
▼病棟での10日間を終えて帰京して数日後、母から電話があった。あの愛想のないマイペースの看護士Aさんが、朝、1時間かけて父の手の垢を丁寧に洗いとってくれたという。風呂に入れない父は朝、起きると手のひらをむやみやたらに掻きむしった。Aさんはそれを見て、お湯を持ってきて父の手を洗い始めたのだという。その1時間、父は暴れることもなく安心して身を任せた。それを聞いて、ありがたいことだと素直に思う。「Aさんはほんとうはいい人ね。」と電話で母が言う。患者やその家族とはそんなものだ。
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