瓢箪から駒      9月28日

「瓢箪から駒」という言葉を広辞苑で引く。@ 意外な所から意外なものが現れることのたとえ。A道理のうえから、あるはずのないことのたとえ。
▼ およそ、曼珠沙華(彼岸花)といえば真っ赤な花であるという固定観念をひっくり返されたのは練馬区にある植物学者の故・牧野富三郎の家の庭、そこで白い曼珠沙華(彼岸花)があるのを初めて知った。紅い一群の向こうに遠慮がちに咲く二輪の白花は謙虚であるゆえに、ひときわ、訪れる人々の目を引いた。

▼数年前、そのシロバナを初めてカメラにおさめて程なく、ある後輩の結婚式に招待をされた。
40歳代のはじめ、管理職となって日の浅かった私は、今振り返ると、ずいぶん肩に力が入り、若手の指導に躍起になっていた。若い頃の自分はやりたいことが多くあったはずなのに組織の中で気弱に気を遣いすぎたために充分に達成したという境地にいたらないままに、管理職になった。若手にはそんなことのないように、自分のやりたいこと、思いついたことは、どんどんやれと檄をとばすのだが、それがかえって妙なプレッシャーになったようで、耐えきれずに退職する若手まででてきた。図太く自分の思うことを存分にやりきる若手はいないものだ、自分もそうであったことは棚に上げて溜息をもらしたりしていた。今、振り返ると不遜であった。
▼そんなとき、一人の新人が目の前に現れた。Sは私の尊大な態度も軽くかわし、編集室で怒鳴っても平気な顔で策を練る冷静さを持っていた。しかも取材が丁寧でしつこく事実を追う持続性を持っていた。久しぶりに大型新人に出会ったと思った。とことんつきあって鍛え上げようと決意し、Sもその期待に応えてくれた。
▼広島放送局という小さい職場ではあったが、Sは持ち前の冷静さと手堅さ、そして若々しい構想力であっという間に主力となった。最もそばに置いておきたい部下だった。ところが、多数の人々の様々な営みが複雑に絡まる組織の中では、時にまったく想定外のことが起こる。
その夏の人事異動、様々に入り組んだ偶然の事情を配慮し策を練る中で、結局、Sを他の局に転出させなければならなくなった。その連鎖の果てにたどりついた結論を前に、自分でも呆然としてしまったがもう後には引けなかった。思えば私の人生でよく起こる、冗談のような結末である。中学生の頃から、弁当箱の中に大切にとっていたおかずを、思わず、床に落としてしまう、なんて冗談のようなことがよくあった。

▼Sに異例の異動を申し渡す日はしんどかった。市内を一望するビヤガーデンで、なぜ、こんなことになったのか、メモをしながら正直に話し、異動を告げた。Sの目に涙があった。こちらも、自分でも納得していない理不尽な成り行きでSを手放さなければならないことの無念さがこみ上げ涙に濡れた。Sは入社して2年目で隣の県の放送局に移っていった。

▼それから、5年後、私はSの結婚式に、縁結びの仕掛け人として招待されていた。異動していった先でSは同期の女性と再会することになる。そして、二人は結びついた。非情な人事を敢行した私は、結婚式でこのエピソードを紹介し、乾杯の音頭をとる。なにが幸いするかわからない、まさに瓢箪から駒がでた。きょう、9月28日は二人の結婚記念日である。


▼およそ、真っ赤に染まる曼珠沙華の花園の中に、突然、現れる白い花、ちょっとした偶然の重なりで変種は登場し、ふと気がつけば、それが主流になっている。花園では太古の時代からよくある「瓢箪から駒」の一つなのだろう。その後、私はピンクの花も見つけ、今年、牧野富三郎の生家のある高知の植物園で、黄色い曼珠沙華の花に出会った。
                      2004年9月28日