晩秋の朝顔   11月13

母と交代し、父の病室を離れ、外に出た。実家に帰って、台風にやられ吹き飛んだ塀ブロックの破片を整理しようと思った。
▼自転車で帰る途中、意外な花を見た。廃墟となったかつての鉄工所の敷地に、錆びた鉄柱に巻き付いた蔓の咲きに淡い紫の花一輪、咲いていた。朝顔だ。晩秋の朝顔は初めて見た。この異常な気候変動の中で、取り残されたのか、遅すぎたのか、朝顔がふっと一点、晩秋の陽光を受け止めてそこにあった。なぜか、気が和んだ。
▼実家の前に来ると、一人の男性が一輪車をそばに置いてそこにいた。男性は我が家の車庫の前でセメントをこねていた。そばには、割れたブロック片がある。今年、実家は二度にわたり大型台風の強風をまともに受け、雨漏り、窓ガラスが割れ、さらに表のトタン屋根が飛び、向かいにある産婦人科にぶつかりそうになり、そしてブロック塀が崩れた。その時、父は入院しており母なその看病で家を留守にしていた。
▼家の前でセメントをこねる男性はWと名乗った。家の近所で一人暮らしている。地元出身だが、長い間東京の高田馬場に住み病院の事務をしていた。15年前、妻が癌のために急逝した。42歳だった。Wさんは二人の子供を連れて故郷に戻る決意をした。故郷での暮らしは決して楽ではなかった。十二指腸潰瘍になり脳溢血にもなり、病院とのつきあいも長い。今は、器用な持ち前の才を生かして、家の修繕など近所の老人達の便利屋を買ってでてくれている。今年は何度屋根にのぼったことか、と誇らしげに語った。
▼Wさんとは初対面である。その男に、Wさんはずいぶんと立ち入った話を披露してくれた。話をしながらもセメントをこね、ブロックを器用にひとつひとつ積んでいった。「おいおい、そこの水平狂っていないか。」そういいながら近づいてくるのはNさん、暇を見ては街のゴミを拾い集めて歩くので有名な人だ。Nさんは自然と手伝いに入り、二人は弥次喜多よろしく軽妙な会話を楽しみながら、まったく赤の他人の家の塀を修復していった。久しぶりにあこがれを感じる男達に出会った。そばで話を聞いているだけで和んだ。
「こっちのことは心配しなくていいから、早く病院に帰ってやれ。」 その言葉が身に染みた。
▼台風騒動の中で近所の人に随分助けられている、そうした話を母が父にすると、父は「お前の人徳だな。」と母に返してくれたそうである。最近、父はよく「ありがとう。」という言葉を口にするようになった。壮絶な孤独感とわき出るような感謝の気持ちが交互に父の心をいっぱいにしているように見える。病室に帰って、ブロック塀をすすんで修復してくれていたWさんやNさんの話をすると、父はゾウのように目を細めて微笑んだ。

▼晩秋の故郷、廃墟の中に陽光を受け朝顔の花が咲いていた。
                      2004年11月13日