Kind of Blue     12月24日

ベニヒモノキ(紅紐木)/トウダイグサ科エノキグサ属 別名は榎木草。長く赤い花が、 ひものように垂れ下がる。英名はシェニール。光沢があって毛足の長いシュニール糸のこと。インドからマレー半島の原産だと言われているがはっきりしない。東南アジアのマレー半島原産。 明治末期に渡来。 (西インド諸島原産との説もあり)   花言葉は、愛撫
▼ここ数年、躁鬱というやっかいな病に悩む友人Aと久しぶりにお茶を飲んだ。長い鬱期を脱した彼の表情は明るかった。この席で、ジャズ・フアンの彼は60年代に思いを馳せてマイルス・デイビスの「カインド・オブ・ブルー」について熱く語った。その元気な様子にほっとしたが彼は自分を「躁状態なんだ。」と客観視した。確かに心の荒涼から離陸する時の風景にカインド・オブ・ブルーは無理なく共鳴してくれる。
▼絶えず新しいものを追い続けたマイルスが1950年代最後に残したこのアルバムは輝かしい60年代を指し示す先駆けとなった。マイルスはここで新しい実験をする。曲のテーマを全て譜面にすることなく、5小節程度のスケッチだけ書いてスタジオに入り、メンバーからでる自然発生的なインタープレーを求めた。それぞれが感性の翼を自由に羽ばたかせ、共鳴する、統率する指揮者のいない即興音楽としてのジャズの夜明けがこのアルバムづくりにあった。しかも、スタジオに集まった若きジャズメンは、テナー・サックスのジョン・コルトレーン、アルト・サックスのキャノンボール・アダレイ、そしてピアノのビル・エバンズ・・・彼らの紡いだ共鳴音は当初マイスルが想像していたものを遙かに超えていた。この接点を契機に黄金の60年代がはじまる。
▼カインド・オブ・ブルー、荒涼とした大地の地平に静かに厳かに差し込むブルー、友人Aは「次はお前のために何を話そうか。“ワルツ・フオア・デイビー”がいいかな。」と愉しそうに語って去っていった。
▼12月24日、忘年会。私の職場は今、逆風の中にある。厳しい空気の流れる中で、私の出身部の忘年会もおとなしいものになるのだろう、そう思って出席したが、意外にもそこは溌剌としたエネルギーに満ちていて、ほっとした。司会をする若きディレクターのアドリブ豊かで機知に富んだ進行ぶり、果敢に先輩のプロデユーサーをコケにする気合いに好感がもてた。


▼一人の指揮者が堂々とタクトを振り、その指揮棒の先をにらみながら演奏をする音楽は最初は新鮮だが、そのうちに指揮者は自分の思うようにいかないと、「なぜ、自分のいうようにできないのか。何度、同じ事を言えばいいのだろうか。本当にいい演奏家ががいない。」
思考がどんどん閉塞領域へ繊維化していく危険を孕んでいる。一方で楽団員も指揮棒の先をにらむ張り詰めた手法の中で、自らの個性は時にその統一からはみ出てしまう存在であることを忘れひたすら機能することに邁進する。私もその楽団員の一人である。マイルスが60年代に花開かせたモード手法はその対局にある。




▼今夜の若手のはしゃぎ方には節度があった。バブル期のようにわけもわからぬ熱狂の中で自分たちの主張だけによりかかり、それがうまくいかないのは全て組織のせいにする被害者意識先行型のものとは質が違う。おそらく時代が彼らに一つの決意を与えているのだろう。黎明期を、自分の感覚を頼りに生き抜こうとする決意である。
▼忘年会の最後は先輩の挨拶だった。その言葉が胸に響いた。「私は若い人については心配していない。ひたすら番組をつくればいい。心配なのはプロデユーサーです。これから私も含めて新しいプロデユーサー像を築き上げていかなければ、私たちの存在は必要なくなる。・・・」
 身に染みた。その通りだと思う。長い間、指揮棒の先ばかりをみている間に、自分の演奏がなんなのか忘れてしまい、やがて演奏がうまくいかないのは指揮者のせいなんだと投げやりな被害者意識の中に安住し、居心地のいい評論家として安穏として自分で指揮棒を振ろうとしゃしゃりでることもない。

▼ 自分を「躁状態なんだ。」と客観視しカインド・オブ・ブルーのことを熱く語った友人Aは、その後、ゆっくりと職場復帰を果たそうと張り切っていたが、後輩管理職の心ない言葉に傷つき、再び入院したと聞いた。彼の心の荒涼にいまどんなジャズが流れているのか。親愛なるAへ。荒涼の中にいるのは君一人ではない、僕も君と同じ地平に立っている。
▼クリスマスイブの喧噪を抜け出し、自宅でカインド・オブ・ブルーを聞きながら植物写真を眺めている。この表題にあう紺碧のブルーを探したがなかなか見つからなかった。たまたま、クリスマスツリーのようなベニヒモノキがでてきたので何気なく選び、その花言葉を調べた。「愛撫」 甘いなあ。でも今宵は勘弁して欲しい。そよそよたなびく赤い紐と一緒にスイングしていたい。
                      2004年12月24日